遂にやった!北海道一周ファイナルステージ
2015 / 11 / 18 ( Wed ) 挑戦(北海道一周ファイナルステージ)
栄高校第13期 高嶋威男 山形修身 ![]() その4人組が苫小牧→白老までタスキリレーするというのだ。大丈夫かい! スタートは富森君(同期3組 当時、野球部)で糸井まで<5キロ> 富森談「妻とのウオーキングが日課となっていた。今回の誘いで、さらにウオーキングのスピードと距離が増した。ウオーキングは、これからもつづけていきたい。 (写真①富森君<右>から大河原君へ) ![]() 車で彼を追い越し、次は大河原君(〃5組 当時陸上部)にリレー、錦岡まで<5キロ> 大河原談「気楽な気持ちで参加したが、さすがにタスキをかけた時は緊張した。全道高校駅伝で頑張った時のことが思い起こされた。(写真②大河原君<右>から山本君へ) 続いて山本君(〃1組、当時陸上部)で社台まで<5キロ> 山本談「50年ぶりのタスキリレー、日頃のウオーキングで何とかなると高をくくっていたら、そんな甘いものではなかった。必死で5kmをスロージョギング、どうにか完走。在りし日の駅伝をしていた自分を思いだし良い想い出が出来た。ありがとうございます。 ![]() (写真③山本君<右>から山形へ)。 気温がグングン上昇してきたのでランシャツで、故郷の空気を胸いっぱい吸い込み、気分良く走れた。 そして前泊し、満を持しての高嶋君は長丁場の鷲別<35キロ>まで (写真④山形<右>から高嶋君へ)、 という具合にスクールカラーであるエンジのタスキはリレーされていった。私が高嶋君にリレーする際、渡辺敏明君(14期栄高100周年実行事務局長)が待機していて、リレーするや否や「現役学生のデザインした100週年記念Tシャツを着てゴールして欲しい」と、ドスの聞いた声。彼の目もまた輝いていた。2年後の記念行事を何としても成功させるのだ、その為の先鞭を切って欲しい、という強い思いが伝わってくる。彼が仕切るのなら大丈夫だな、と喜んで協力させて頂くことにした。 ![]() ゴールを仕切ってくれたのは、大柴惣壽君(5組)、横断幕の仕掛等大変お世話様でした。(山形記) 当日の朝8時に本輪西の実家を弟の車で出発、途中、山形君にケータイで状況を確認すると、予定通りの時間で山本君がタスキをつないだともこと。鷲別からの道中を確認しながら白老目指して行く。当初30キロと呈していた距離がなんと35キロもあることが分かり、走るペースを少し目にせざるを得ない。白老には妹が済んでいるので、休憩かたがた、連絡を待つ。富森君から、「山形君にタスキが繋がった」の連絡が入る。彼の走力を読んで、すぐに中継地点に向かった。しばらくすると、富森君の車に大河原君、山本君が乗って到着する。 ![]() 最初の5キロ地点(東萩野)に27分後に着く。少しペースが速いので、次からはキロ6分に調整する。北𠮷原、虎杖浜で休憩を取る。虎杖浜は国道筋にカニのレストランが点々とある。【写真は虎杖浜のドライブイン】 虎杖浜から登別へは若干の上りになる、また風速1mのそよ風は気持ちよく走ることが出来る。峠を越えて登別に入ると 雪虫が群がっている。また、路面からは熱気がむんむん。 ![]() 12時15分、登別駅前のセイコーマートの駐車場に着く、ここで13時まで、昼食時間にする。13時、再スタート。登別から富浦までは今日の2つ目の上りになる。途中、渡辺周子さんからケータイに電話が入る。「鷲別の駅に、ヒロ子ちゃんといるが、他に誰もいない。」との事、「13時30分に山形君が行くのでそこで待ってね!」と伝え、再びランニングモードに入る。峠を越えると眼下に富浦の集落と、雄大な太平洋が広がる。しばらく行くと見覚えのある車が向かってくる、菅原君ではないか。次の休憩は幌別のサンクスであることを伝えると、彼はすUターンしてくる。サンクスまでの途中で富森君が給水をしてくサンクスからは右側の歩道を走る、間もなくバイパス方面の分岐があり、歩道は左側になる。波よけのある立派な歩道だが、コンクリートが硬そうなので、そのまま車道の左側の路肩走る。しばらく走ると海岸線が草原になる。確か6月ごろにはスズランの群落があったはずだ、高校時代には植物採集に来た記憶がある。道路の右側に見覚えのある「月とライオン」の建物が見えた。 ![]() 鷲別に着くと、すでにウオーク組はJR「鷲別駅」から歩き始めていた。すぐに着替えて自分も「ウオーク組」に合流する。さらに「雲上閣」の駐車場からは、現役の陸上部員と一緒に母校「室蘭栄高校」の正門目指して進む。みんな手をつなぎ、大勢の見守る中でゴールのテープを切る。【写真は鷲別でウオーク組と合流】(高嶋記) 2人力を合わせた2000キロ走破のゴールの瞬間には、道中、危険と隣り合わせであった時々の事が走馬灯のように駆け巡った。あらためて、道中の幸運に、自分達の健康に、そして応援頂いた皆様方に、感謝の気持ちで一杯です。そのゴールで、お身体の優れない中、介添えの方に肩を借り、応援に駆けつけてくださった大井輝行先生(日本史;4組担任)、満面の笑みを浮かべ握手を求められた際には、胸に熱いものが込み上げてきました。文さん(佐藤文彦先生;国語、1組担任)、甚左さん(池田實先生:体育、6組担任)応援ありがとうございました。 この後、古希祝いの第13期同期会が「ホテル サンルート」で開催され、2015年10月17日は忘れられない一日となりました。北海道室蘭栄高校は永久に不滅です! (山形、高嶋記) ![]() ![]() {遂にゴール] 【ゴール直後花束贈呈】 ![]() 【室蘭栄高校校舎をバックに記念撮影】 |
北海道一周マラソン 第六ステージ(2015)西周りコース ファイナル
2015 / 11 / 17 ( Tue ) 北海道一周マラソン 第六ステージ(2015)西周りコース ファイナル 第一日目:9月20日(日)留萌駅~初山別第一栄(はぼろ温泉サンセットプラザ泊)(63キロ) 第二日目:9月21日(月)初山別第一栄~天塩町西振老(ホテル豊富泊)(61キロ) 第三日目:9月22日(火)下沼~宗谷岬(下川町五味温泉泊)(69.5キロ) 第四日目:9月23日(水)下沼~天塩町西振老(14.5キロ) 合計208キロ <第一日目>天候 雨後曇り 今回の第六ステージは、215キロを3日間で走破しなければならないので、とても一人では無理なのと、以前から娘夫婦が一緒に行きたいと言っていたので、若い人の力を借りることにし、更に、髙嶋ファミリーと同じような付き合いをしている塩島君も参加してもらうことにした。全員で5名となる。旭川空港でレンタカーを借りて留萌に向かう。旭川空港を出る時は曇りだったが、留萌に近づくにつれ、雨足が強くなる。こんな雨の中を走るのは嫌だなあ、と内心思いながら、運転をする。とにかく「運が良けりゃ!」と祈りつつ留萌駅に着く。 ![]() ![]() (今日の走行距離は63キロ) ※ 地点の距離表示は、国道40号線の分岐(天塩町)からの距離です。 <第二日目>天候 雨 ![]() ![]() (今日の走行距離は61キロ) <第三日目>天候晴れ 昨日の雨とうあうって変っての晴天。昨日残した区間を、休みを余分にとってきた塩島君に託することになり、JRの駅で、国道に近い「下沼駅」の下見をし、「下沼」国道40号線の202キロ地点を8時08分スタート、今日は昨日、最終区間を走れなかった、憲ちゃんが先発。セイコーマート(209地点)で今日の、飲み物と食べ物を購入。8時58分、給水をする。 ![]() 豊富町の市街を過ぎた郊外、212.5キロ地点で、襷リレー、次は自分の番である。スタート間もなくサロベツ原野が左手に広がる、遠く「利尻富士」も見える。卓さんが言っていた風景である。天気もいいし、気分爽快の走りである。217キロ地点には9時48分に到着、キロ5分一寸のペースである。道中牧場が広がり、甘酸っぱい発酵臭が漂う。222.5キロ地点(10時10分)塩ちゃんにタスキをつなぐ。道はほぼ一直線で、ややアップダウンがあり、両側には大草原が広がる。229キロ地点(10時42分)塩ちゃんペースが良く、気持ちよく走っている。234キロ地点(樋口牧場入り口)11時09分、憲ちゃんがさらに続く。さらに、途中から稚内市に入るもまだ放牧の大草地が続く。244キロ地点(11時30分)、244キロ地点(11時53分)で家電量販店やスーパーのチェーンが道路の両側に並んでいる市街地に入る。次は自分が襷を受け取り走り出すも、交差点ごとに信号待ち、アップのつもりで調子を整える。245.5キロ地点で、国道238号線に合流する。交差点(汐見)を右折し、一路、宗谷岬へと向かう。238号線は、網走までの319.5キロ地点にあたる。宗谷湾に沿って道が続く。歩道も広く、段差もなく走りやすい、走りながら潮風を受けて気持ちが良い。316キロ地点(12時27分)塩ちゃんに襷をつなぐ。312キロ地点(メグマ原生花園)に12時48分、相変わらず良いペースを維持している。原生花園とは言ってもこの時期、花は見られず。向かい側には、稚内空港がある。306キロ地点、(増幌)13時17分、次は憲ちゃんが10キロ走り、残りは自分が走り宗谷岬にゴールする手はず。301キロ地点(宗谷1バス停3時44分通過、296.5キロ地点(清浜漁港)、14時04分、いよいよラストランになる。 ![]() (今日の距離は69.5キロ) ※国道40号線は旭川からの距離、238号線は、網走までの距離表示です。 ![]() ![]() ong> <第四日目>天候晴 昨日、宗谷岬の民宿に泊まった、塩ちゃんが、稚内から下沼までJRで行き、下沼駅(無人)から国道40号線に出て、旭川方面に向かい、232号線に入り、二日目中止した、西振老までの14キロを往復して、下沼駅から再び稚内に戻る。下沼駅前にある湧水地での一杯の水は、本当においしかったと、報告があった。塩ちゃん、ありがとう。 (今日の距離は14.5キロ) |
北海道一周・東回りコース第5ステージ 13期 山形修身
2015 / 08 / 26 ( Wed ) 北海道一周・東回りコース第5ステージ 13期 山形修身
いよいよ苫小牧入りである。 富森君(栄高校3年間同級;トミと呼んでいる親友である。)が是非、車で伴走したい、との有難い申し出。サロマ~網走入り以来か。重いリックを背負わない分、助かる。 今回は、私とNTT時代の走る仲間2名とによる変則リレーで7月7日(火)静内→苫小牧走破の計画だったが、直前で1名が骨折事故。急遽、伴走予定のトミを口説いて成立した。 ![]() (苫小牧市役所前にて、左から、走る仲間S社長、山形、富森君) そのトミが静内→節婦(10キロ)、走る仲間S社長が節婦→富川(30キロ)、私が富川→苫小牧(47キロ)。コースは浦河街道(235号線)。雨に遭遇したのは私だけ。鵡川付近からスコール。それまで何とか走っていたのに足痛の為、雨が止んだ沼ノ端から苫小牧(市役所前)ゴールまでは歩きになった。伴走車のトミの冷たい目線。昔、速く走っていた時とのイメージギャップがそうさせたのだろう。トミよ!俺たちはもう古希だぜ。 そう言えば、大学1年の3月、東京オリンピックマラソン国内最終選考会出場の標準記録が無い為、名古屋中日マラソンに出場したが、この時、名古屋で勤務していたトミの宿舎でお世話になった。初めての赤味噌汁に驚いたのを覚えている。スタートから飛び出した大雨のレースは後半バテ、わずか数秒標準記録に届かなかった。実は、このレースで標準をクリアーし選考会3位、本番銅メダルが円谷選手である。高校卒業1年弱で、国内一選級と走れるほど甘い世界ではない。 文才が無い為、高嶋君のように名所旧跡等の紹介や繊細な風景等の描写もなく、ただ自分の昔話しの感が否めないし、私のPC操作の未熟さで事務局の小林さん小笠原さんに多大なご迷惑をおかけしました、ごめんなさい。 とまれ、これで10月17日高嶋君達とのファイナルステージに臨むことが出来る。 <ファイナルステージでのウオーキング参加者募集!> ■ファイナルステージは10月17日(土)15時栄高校正門前ゴール(予定) 先ず、苫小牧から糸井→錦岡→社台→白老→鷲別までの区間を;山本(1組)、富森(3組))、山形(3組)、高嶋(4組)、大河原(5組)の5名(13期;当時の陸上部、野球部等所属)にてタスキリレーします。その後(鷲別から)ウオーキング参加者と合流し(ウオーキングにて)ゴールを目指します。 【ウオーキング参加募集要項】 ① コースは、鷲別(JR鷲別駅)→栄高校正門前<約3キロ>です。 ② 参加対象は、13期生に限らず、栄高卒業生及びその家族や友人・知人もOKです。 ③参加される方はウオーキングに相応しい服装(&シューズ)のうえ同日(10月17日) 13時30分までにJR鷲別駅西口(待合室)にご集合下さい。同時刻・同場所にタスキ組が待機しております。 *JR東室蘭駅13時10分発→鷲別駅13時13分着の列車があります。 ④タスキ組を含む全員にて、14時頃同駅をスタートし15時前には栄高正門前にゴール予定です。無理のない、ゆっくり、ゆったりペースでウオークしますが、さらに途中、給水・休憩タイムの設定も考えております。 なお、給水は個人措置を原則としますが、若干名のペットボトルは伴走車に準備しております。 ⑤当日、雨天でも実施いたしますので、その場合雨具等は各自にて対処願います。 ⑥その他 ・コースは全て歩道を使用、ほぼ一列にて歩きます。列の先頭、中間、最後尾等には タスキ組のメンバーが当たり対向自転車、歩行者への対応にあたる予定です。 なお、万一に備え伴走車がガードを予定しています。 ・着替え等により小荷物が生じる方につきましては「白鳥記念会館」<栄高ゴール付近、 校舎に向かい右側の建物>にて(貴重品を除き)頂けることが出来ます。 また、スタートのJR鷲別駅から伴走車に預け、ゴールにてお渡しすることも出来ます。 ■これを機に、是非、これからもズーッと自らの足で歩ける「健康寿命」UPにチャレンジしましょう! 本件 事務連絡担当 山形 (090-8949-3388) |
挑戦<北海道一周・東回り:第4ステージ> 栄高第13期 山形修身
2015 / 08 / 19 ( Wed ) 挑戦<北海道一周・東回り:第4ステージ> 栄高校第13期 山形修身 ●1日目:6月6日 浦幌→晩成 40キロ ●2日目:6月7日 晩成→広尾 35キロ ●3日目:6月8日 広尾→エリモ岬 40キロ ●4日目:6月10日 エリモ岬→浦河 40キロ ●5日目:6月11日 浦河→静内 40キロ ![]() ![]() ナウマン像遺跡(1日目) 記憶に残る人情旅館(1日目) エリモ様は、なかなかその姿をみせてくれない(3日目<6月8日>走行距離40キロ)。 広尾(廃駅)を出発してから、ほどなくして海岸線に出ると、長・短の覆道、トンネルが延々と続く。 ![]() ![]() やっと辿り着いた。ここでもエリモ様をお守りするかのように、今まさに浮上しょうとしているゴジラの尾ビレのような岩礁が2キロも連なっていた。日高山脈はゴジラだったんだ。 ![]() ![]() ![]() 立ちションも命がけ 襟裳岬に立つ。ゴジラの尾びれだ 襟裳岬 これで私の挑戦、宗谷岬と襟裳岬が繋がった。宗谷は、海抜3メートル、平坦な長いカーブの続く国道沿いにオホーツク海の門番のような顔をして立っていたし、岬と言ったら断崖絶壁に立つ故郷地球岬のイメージだったが、それぞれに全く違う顔を見せている。 北海道は広いな~! 知床の世界遺産とまではいかないまでも、北海道の岬達を是非、観光名所として、末永く守っていって欲しいものである。 “エリモは何も無い春です”という歌詞があるが、それをそっくり浦幌→晩成(1日目<6月6日>40キロ)、晩成→広尾(2日目<6月7日>35キロ)のナウマン(336号)国道沿線に差し上げたい。何しろ小型マンモスのナウマンという像が発掘されただけあって大小の沼や山間部の丘陵・湿地帯が長いアップダウンとなって続いていて、何か出没する気配が漂っているが、あとは何も無い、ホント何も無い。それに幅広の道路なのに車の往来が殆ど無い。私なら、ジョギング、ウオーク、サイクリングコース、冬はスキーのクロカンコースとして町興しなどどうなのか、と勝手に思ってみたくもなる。えりもの旅館就寝前の地元TVニュースで浦幌近郊の小学校付近でクマの目撃情報とかで集団登下校。2日前その脇道を通過している。 ![]() ![]() 様似・塩釜トンネル(4日目) 4日目(<6月10日>40キロ)エリモ岬→浦河は終日、雨。5日目(<6月11日>40キロ)浦河→静内は小雨、濃霧、曇り。えりも町から襟裳国道(336号線)沿い20数キロ程の様似海岸付近。ここは、北米プレートとユーラシアプレートとが北海道の東西で衝突している最前線だといい、その証として、海岸線の奇岩アート(塩釜トンネル、ローソク岩等)や山間部の鋭い渓谷、造形に現れている。日高山脈誕生の古代現場に立ち会う事が出来た。日高山脈はゴジラではなかったんだ。このプレートがゴジラのように騒ぎ出さないよう祈っている。 ![]() ![]() ![]() 雨の浦河ゴールまでもう一息(4日目) 優駿の門を通過。牧場も霞んで仔馬も見当たらない(5日目) 雨のランニングは嫌いではないが、楽しみにしていたサラブレット生産地、浦河町の通過、ゴール静内町付近にある沿道の牧場も霞み気味で、競走馬の子供たちは見当たらない。シンザンロードなどの脇道に入っていくと有名な牧場が沢山あるのだろうが、雨で体も冷え、そんな気力もない。 その競走馬だが、血統だけで走れるのではない。我々ランナーのように坂道(クロスカントリートレ)での筋力・スピードUPや数頭による併せ馬(我々のインターバル&レペティショントレ)での心肺機能UPや競争の心得など、こうした厳しいトレーニングを経て選ばれた馬だけが檜舞台に立てるのである。年間約7000頭生まれる競走馬だが、勝てない為に地方廻りはまだしも、9割が故障馬も含め殺処分されている厳しい現実がある。 今回の挑戦は、高嶋君からの挑戦状だったのかも知れない。 もともと彼の情熱に呼応したことから出発したこの挑戦。一人称では組立ておらず、彼の進捗状況、距離に触発され、彼に負けまいと私は動かされていたからだ。 この挑戦で、これから先、私のやるべきことは定まったし、その為の体力・気力のチェックもできた。彼からの挑戦を受けて本当に良かったと思っている。 ■東回り第5ステージは、報告文書化が遅れておりますが、7月7日(火)3名で既に終了いたしております。 □静内→節婦(10キロ)富森君(13期3組) □節婦→富川(30キロ)S社長(NTT時代の友人;走る仲間) □富川→苫小牧市役所前(47キロ 山形) これで北海道一周マラソンの東回りも苫小牧からの最後のランを残すのみとなりました。事務局で最初に高嶋さんから聞いたときには年齢を考えると、還暦どころか古希を走りぬこうという計画なのでそんな無茶な・・・・と心底思ってました。でも、もうゴールが目前です。 ≪10月17日(土)15:00栄高校門前ゴールです。≫ 13期だけではなく栄校同窓生皆で最後のランに参加しよう。 |
北海道一周マラソン西廻りコース<第5ステージ>報告 第13期 高嶋 威男
2015 / 08 / 13 ( Thu ) 北海道一周マラソン 西廻り第五ステージ(2015年) 栄高校13期 高島威男
13期の高嶋・山形両氏の北海道一周マラソンも後わずかラストランを残すのみです。13期同期のアシストの元、頑張りぬいてきました。同窓生一同応援してます。 第一日目:6月12日(金)小樽駅~石狩市親船(民宿やまたま)(43キロ) 第二日目:6月13日(土)石狩市親船(民宿やまたま)~石狩市浜益区(49.5キロ) 第三日目:6月14日(日)石狩市浜益区~留萌市街(127キロ地点)(57.5キロ) 合計 150キロ <第一日目>天候 晴 東戸塚5:25発のバスで直接羽田空港へ、新千歳空港から小樽までJR、銭函までは札幌の郊外を走るが、銭函からは石狩湾沿いに電車は走る。車窓から前方には今日のスタート地点、小樽の街が、右手にはまだ雪が残っている暑寒別岳が見える。今回のゴール留萌はその方向である。 10時30分、小樽駅に到着する。走る準備(もともと走る格好で来たので特に時間はかからない)をして、10時40分にスタートする(国道243キロ地点)しばらく信号が多く、なかなかリズムに乗れないが、かえってアップのためには良いと言い聞かせる。 ![]() 250キロ地点にセイコーマートがあり、更にパンと水を補給する。丁度、札幌からトライアスロンのランの練習に来ていた青年に合い、声をかけると、札幌から小樽の往復50キロの練習で、小樽から折り返して札幌に向かう途中とのこと、彼も銭函まで一緒に行きましょうと言ってくれたので、心強かった。途中、平成トンネル、張碓トンネルと2つのトンネルがあるが300m位で歩道もしっかりしていたので助かる。張碓トンネルを出ると下りになる。途中、275キロ地点に、にこにこしながら、こちらをみている男性がいる。まさかと思ったが、やはり大ちゃんだった。大ちゃんは車で追いかけてきて来てくれたそうだ。そこで記念に合流写真を撮ってもらう。(写真は張碓付近にて、大ちゃんと) 天気は快晴で、エゾハルゼミの声も響き渡る。調子よく入っているうちに、12時50分(予定より20分遅れ)銭函(260キロ地点)に到着。札幌の彼はセブンイレブンで給水を、私はラーメン屋により昼食を摂ることにし、お互いに安全を祈念し、別れる。 13時30分に再スタート。ラーメン屋の主人から良く冷えた缶コーヒーを差し入れてもらう。 途中261キロ地点から225号線に入り、この間6キロひた走り、そして337号線への軌道修正をする。14時05分、丁度、卓さんからメールが入る。卓さんのメールにある通り、バックには手稲山がばっちり、信号の交差点名も「手稲山入口」とある。ここは札幌市になる。午前中頑張ったせいか、時々脚にケイレンが走る。まだ先は長い、夕方5時までに宿にたどり着ければいいので、3キロ毎に休憩を入れることにする。337号の合流地点は、新千歳から99キロ地点であった。次の休憩は96キロ地点(新川)に14時35分に着く。93キロ地点で休憩をしていると大ちゃんからメールが入る。「実家に戻って、サポートに行こうと思っていたが、自分も疲れているので、カンベン」とのこと。こうなったら、時間をかけてもなんとか宿にたどり着かなければ。90キロ地点15時26分、ペースはキロ7分、休憩5分での繰り返しである。87キロ地点は15時51分、ここで231号線に合流する。231号は札幌から12キロ地点の表示となる。1キロ先にセブンイレブン があり、水分を補給する。午後4時を過ぎると、陽も傾き、気温も下がってくる。16キロ地点は(志美交差点)二股に分かれており、ここで宿に電話をして、どちらの道を行くか確認する。結局左側の支道を3キロほど行ったところが今日のゴール地点であることが確認できた。なんとか17時までにはたどり着けそうと安堵する。道は平たんで走りやすい。風も出てきて気持ちが良い。両側は民家が多く、時々コンクリートの建物、アパートが目につく。 16時50分、今日の宿「民宿やまたま」に到着する。夕食前に宿の目の前にある温泉「番屋の湯」 で汗を流す。今日の宿は、石狩川河口付近にあり、近くにには灯台や、海水浴場などがある。また、ハマナスの群生もあり、のんびりとした地帯である。今日の走行距離は43キロだった。 <第二日目> 天候 雨 朝8時前に菅原君夫妻が宿に来てくれる。天気予報は雨、朝の散歩時には青空も見えていたのが、時間が経つと一変した。やはりスタート時にはポツポツ雨が降り始める。 8時30分、19.5キロ地点(セイコーマート)をスタートする。今日は車のサポートがあるので 大概の荷物は車で搬送してもらうので助かる。雨のため、気温も低く雨具を着用する。 9時05分、25.5キロ地点で初めての休憩、車の中なので雨をしのげるし、菅原君の奥様が入れてくれたあたたかいお茶は、冷えて体にはうれしかった。9時20分、雨の中再び走り始める。左側は石狩湾だが、雨に煙ってほとんど見えない。時々遠くからカッコウの声が聞える、もしかしたら雨はそんない強くならないかもと、かすかな期待を持ちながら走り続ける。 ![]() 10時40分、36キ地点(古潭)着、道中時々藪からはウグイスの声も聞こえてくる。相変わらず降ったり止んだりの天気はかえって走りやすい。11時20分、41.5キロ地点、厚田ノセイコーマート着。ここで少し早いが昼食にする。おにぎりを2個食べ、30分の休憩をとる。今日は車があるので、時間はほとんど心配なしで、休憩もゆっくりできるのがいい。 昼食後のスタートをすると、間もなく「安瀬(ヤソスケ)」地区に入る。幕末期にはここから浜益までは濃昼(ゴキビル)街道が唯一の交通手段だったそうだ。46キロ地点、濃昼(ゴキビル)街道入口に到着。当時は人馬の通る街道であったが、現在は「ミドリニリンソウ」の群生地として、多くの登山客が訪れるらしい。 (写真は濃昼街道入口にて 菅原君と) ここからは、長いトンネルが三つ続く。滝ノ沢トンネル(1,400m)、大島内トンネル(2,465m)、新赤岩トンネル(963m)を抜けたところ、13時05分、52キロ地点、で休憩する。私がトンネルを走っている間、猛烈な雨が降ったけれど、トンネルの中では全く気が付かなかった。トンネルは新しいので歩道も確保してあり、特に海側の歩道は乾いた状態でとても走りやすかった。 濃昼地区にて休憩する。ここからはまたまたアップダウンとトンネルが3つ連なっている。上りの側溝はドシャブリの後で、川の様になって水が流れている。車道は水たまりもできていて、靴がぬれてしまう。3つのトンネルは「尻苗、送毛、新送毛」で特に新送毛トンネル(2996m)は、最も新しく、続いている車道も全く輪達もなく走りやすい。この間10キロほどなので、途中でクールダウンを入れ、リフレッシュする。 14時30分、62キロ地点で休憩。この時間には、ほとんど雨の心配がなくなり、雨具をぬぐ。 15時15分、67キロ地点では今日の最後の休憩をとる。先には、セイコーマートの看板が見える。その近くが、92キロ地点、今日宿泊する民宿「よしざき」があるはず。宿に入る前に、浜益温泉で汗を流すことにする。 今日走行距離は49.5キロだった。 <第三日目> 天候 晴 朝方まで雨が降っていたので道路はぬれている。今日はトンネルが多いのと距離も長いので、7時にスタートすることにする。菅原夫妻はすでに6時半に来て待ってくれている。 7時03分(69.5キロ地点)スタートする。今日は雨が降る事もないので雨具はしまっておこう。 ![]() 7時35分、郡別(74.5キロ地点)で休憩。ニセアカシアの白い花が今回のコース上に時々出てくる。次は色丹(80.5キロ地点)で休憩。この後「二つ岩トンネル」から連なるトンネル内が工事中であり、しかも車が1台やっと通れるような狭い道なので、走るのは危険であるとのアドバイスでこの間(7キロ)は車で通過する。 8時50分、雄冬岬(87.5キロ地点)で記念撮影をする。トイレを済ませ、再スタートする。 9時39分、岩尾(93.5キロ地点)にて小休止。途中の「雄冬トンネル」は歩道が急に狭くなり、通行に気を使う。さらに「赤岩岬隧道」から5個続く。10時30分、日和泊トンネル(99.5キロ地点)出たところで休憩。途中の「黒岩トンネル」と「日和泊トンネル」の接続工事で、一部片側通行だが、係員の指示で安心して通過できた。(写真は雄冬岬にて菅原君と) 11時25分、大別苅駐車場(105.5キロ地点)で休憩する。「マッカリトンネル」「バリカ(?)トンネル」「大別苅トンネル(1992m)」を通過し、今日のトンネルは終わる。トイレを済ませ、ゆっくり休憩する。次はいよいよ増毛市街である。山の中から、海岸に出ると磯の匂いがする、懐かしい匂いだ。今回初めての気がする。藤岡さんからメールが入る、藤岡さんは浜益方面に向かって、私の来るのを見ながら走っているらしい。現在の地点を報告すると、予定より早いので、びっくりしていた。増毛のセブンイレブン(暑寒別川を越して初めてのコンビニ)で待ち合わせをする。 ![]() 増毛にて藤岡さんがミニトラックで合流する。ここから次のセイコーマートまで走ってもらうことにする。私は、藤岡さんのミニトラックを運転することにする。 12時45分、菅原君夫妻と別れを告げ、私はミニトラックでスタート、藤岡さんも走る格好に変身し、走り出す。途中(3キロ行ったところ)、増毛湾をながめながら、藤岡さんのペースを確認するために休憩する。約束通り、キロ7分のペースで来ている。13時30分、セイコーマート(118キロ地点)で藤岡さんから引継ぐ。留萌市街まではあと9キロ、キロ7分のペースで一歩一歩数えるように進む。 14時03分、123キロ地点で休憩、留萌駅とゴール後の入浴のできる温泉の場所を調べてもらうため藤岡さんに先行してもらう。途中、スピード違反の取り締まりをしていた。砂川での交通事故があってから、全道的に取り締まりを強化しているとのこと。 14時35分、セイコーマート(127キロ地点)のある交差点を今回のゴール地点とする。今日の走行距離は57.5キロだった。 今回の3日間の行程は、菅原君、藤岡さんのサポートなしでは達成できなかったと思う。特に、菅原君夫妻は、北海道の山を毎週のように歩かれ、道路事情にも精通していたのが何よりであった。また、たまたま天気にも恵まれたのが幸いであった。 結局、風呂は、留萌ではなく、車で1時間一寸の所の江部乙町にある藤岡さん宅で済ませ、滝川駅からJRに乗ることになった。新千歳には予定より少し早目に到着できた。藤岡さんに感謝。 後日談になるが、今回新しくしたケータイで道中の写真を撮っていたが、運悪くケータイのSDカードが破損してしまい、データーが復元できなくなってしまった。このレポートの写真は、楠田大輔君、菅原修三君からの提供であることを付け加えておく。 なお第六ステージは9月20日~22日で宗谷岬目指します。 栄高校への最終ゴールは10月17日(土)の15時予定です。その日は 苫小牧から50キロを襷でつなぎ最後はウオーク組と一緒にテープを切ることに なっています。先ほど山形君から手紙が届きました。 |