電信浜の夕暮れ
2008 / 03 / 26 ( Wed ) |
藤 直達先生にお会いしました。
2008 / 03 / 25 ( Tue ) 3期の関谷章さんより藤直達先生の近況をお送り頂きました。
ダンディな藤直達先生 93歳 50年前の美人にかこまれて ![]() 3月16日撮影 親戚の法事で3月半ばに室蘭へ行く機会があった。久しぶりにお会いした今年93歳になられた藤 直達先生は、多少耳が遠くなられているが、以前と変わらず大変ダンディーでお元気な様子だった。 事前に在京の3期生が去年末に京都へ行ったときの集合写真をお送りして置いたが、その10人程の全員をはっきりと判別されたと云うお話だった。 また、先生の若い頃に私の父と飲んで、裸で先生の官舎の庭に出て相撲を取ったことも覚えて居られる様子だった。 私が先生の慰めになればと持参したオペラのDVDにも強い関心を示され、まだまだお元気で居られると感じた。尤も、持参したDVDの機器に不具合があって私が大汗をかいたが、それにも学生時代なら元気に怒鳴られるところを、優しく付き合って戴いて大いに恐縮した。 最後に、東京白鳥会の皆さんに何かお伝えすることは、とお尋ねしたら、「何よりも健康に気を付けられる様に」とのことである。健康にさえして居れば、こうしてお会いする機会も出来ると云うことであろう。皆さんも何かお便りでもすれば藤先生も大変お喜びのことと思うので宜しくお願いしたい。 (藤先生の住所:〒051-0034 室蘭市増市町1-13-3) 栄校3期生 関谷 章 |
<どん尻会>の感慨
2008 / 03 / 19 ( Wed ) <どん尻会>の感慨! 室蘭栄高校2期生 佐藤嘉一
![]() 1期生の阿部一猛さん(左)と一緒、2012年東京白鳥会総会にて 混 沌 1946年(昭和21年)室蘭中学に入学。敗戦の翌年、世情は混沌とし、政治や経済は混乱していた。 殊に、食糧事情は困窮を極め、〈買出し〉〈物々交換〉〈闇市〉など耳慣れない言葉が流布した。 憧れの室蘭中学校の校舎は、歩くとギシギシと音をたて、廊下の撓みにも歴史を感じさせていた。 室蘭の街を、進駐軍のジープが我物顔で駆けている。その頃、中学校には予科練帰りの先輩たちが次々と復学して来た。眼光鋭く、命を投げ出して征った戦場の雰囲気を醸している。 入学早々のある日、生徒大会がもたれた。体育館の壇上に校長を引き出し、生徒を戦場に駆り出した責任を糾弾し、校長に「腹を切れ!」と迫る。校長は土下座して、生徒に謝っていた。新入生の僕たちは、事態を受け止めるのに恟恟としていた。 髭面の上級生が、決まって昼時間には竹刀を持ち、集団で現れ、一年生の5教室を巡り気合いを入れていた。僕たちは身を竦め、恐怖に慄き耐えていた。そして、早く下級生が欲しい!その時は竹刀を持ってーと.......... ミンシュシュギ やがて中学生活にも馴れたころ、軍靴の闊歩する暗い時代が一転して、民主主義の時代を迎えていた。 ミンシュシュギ(・・・・・・・)! 聞き慣れない言葉と共に様々な文化が、抑圧されていた日本中に噴騰した。音楽、文学、演劇、そして美術の色彩が眩い光を放って溢れた。小学校の教室が開放され、レコード鑑賞、社交ダンスに興じる青年男女。外国映画の上映に瞠目し、広く世界を識る事もできた。それぞれの同好者が集い、サークル活動が華やいだ。 1947年(昭和22年)、新学制が施行され、室蘭中学は室蘭高等学校となり、私たちはその併置中学とされた。室蘭中学は終止符を打たれ、私たちは最後の旧制中学生となった。現在、〈どん尻会〉として同期生の集まりをもつ、命名の所以である。手薬煉ひいて待った下級生は、到頭現れる事なく終わった。 1950年(昭和25年)、室蘭高等学校は栄高等学校と清水ヶ丘高等学校に分割され、男女共学制が実施された。待ち焦がれた下級生を、女子生徒と一緒に迎える事になる。女子生徒を前にして「質実剛健」の伝統は脆くも崩れ、軟派化した我々は、竹刀を持つのをすっかり忘れてしまっていた。 演 劇 中学三年の頃、私は上級生と語らって演劇部を創設したが、商業高、工業高、道立女子高、市立女子高など市内の各高校にも、こぞって演劇部がつくられ活動を始めた。そして、室蘭高等学校演劇連盟が組織され、合同公演がもたれる等、学校間の交流が盛んであった。この頃、学生音楽協会、学生映画連盟、高等学校美術連盟など百花斉放の組織が生まれ、私も幾つかの組織づくりに首を突っ込んでいた。 共学前の演劇部は、商業高、工業高も男子高校であった為、脛毛に髭まじりの女形が活躍し、女子高校は宝塚的表現になっていた。共学によって、男は男役を、女は女役と、自然な形になれた。「共学万歳!」である。娯楽の乏しかった当時、演劇部の発表会は街中の人気を集めていた。 中学生に始まった演劇を、現在も仕事とし「演劇三昧」の人生を楽しんでいる。〈一生が青春〉を全うしたいものである。 近年は海外との交流が盛んとなり、招聘をうけてオーストラリア、韓国、中国、カナダ、スペインなど海外上演も多くなった。 特に、東アジアにこだわり、日本、中国、韓国の三国による合作の舞台を度重ねている。三つの言葉が一つの舞台で交錯し、それぞれの文化で刺激しあうのが楽しく、今年もまた企画を練っているところです。 佐藤嘉一さんは「劇団えるむ」を1975年創設し、30数年日本は勿論、オーストラリア、韓国、中国、カナダ、スペインなど各地で公演をしています。 昨年は日本、中国、韓国三国による合同公演「天の鍵」を総指揮し、上海・北京・韓国など各地で喝采を浴び、日本では6月に吉祥寺・前進座にて上演し、大成功をおさめました。 [劇団えるむ]のホームページはこちら |
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