地球岬の奇妙なおみやげ
2008 / 07 / 29 ( Tue ) 水平線、本当にまるくみえますか?
![]() ![]() ![]() 室蘭の景勝地、地球岬に「毒まんじゅう」なるおみやげがあるそうです。 見たところ普通の温泉饅頭6個入り、その中の1個だけ唐辛子が入ってるらしい 夏休みに室蘭に帰省される方はこの毒饅頭、どれほど辛いか試してみては如何?(630円) また、母恋駅では「母恋めし」を販売してます。これがまた、駅弁としてなかなか有名になってま す。毎日限定50食、ほっき貝のおにぎり2個、燻製卵とチーズの燻製入り(890円) エトモ半島からトッカリショに至る観光道路は地球岬に劣らぬ景勝地揃いですが、ここは観光開発された全国の海沿いの観光地と比較しても断然すぐれていると思うのですが.... 特に、夕暮れ時の駒ケ岳から恵山岬の渡島半島に沈む夕陽の眺めは格別です。 |
室高1期の先輩諸兄
2008 / 07 / 23 ( Wed ) ―――思い出話し=室高1期の先輩諸兄――― 5期 鈴木 雄
我が室蘭栄高校の前身=室蘭中学=ムロチュウ…と云ったら、我々少年時代文明開化の登竜門みたいな憧れの象徴だった。その兄がムロチュウに入学したときは、3歳下の私自身jが意気衝天の喜びだったが、その後直ちに新制中学が何処でも出来ることになる。心外であった。 私の家は登別、近所に兄より3期上の飯島孝さんが居られた。幼い頃から親しくさせて頂いたが、私が多少話しが通じるようになった頃は飯島さんは室工大に通学されておられた。其処で飯島さんの家に出入りする方々は室高1期昭和24年卒の室工大の学生たち、私のような新制中学に入ったばかりの少年をからかい半分、社会文化のトバ口の手習いをさせて頂いた。この一群のリーダー格が飯島さんで、室工大の初代学生会会長、いささか“危険”な時代の共産党の幹部としても知られていた。 田舎町の登別の駐在巡査などは、飯島さんの近辺を探れば火薬の所持・火炎瓶の実行手段などが手に入るかもしれないと鵜の目鷹の目、高校に通学の私の兄などは「警察のイヌなど俺に近寄るな!」なんて怒鳴るから、駐在は中学生の私を手なずけようとしていた。其処に目を付けたのが飯島さんの友人たち、少年の私に冗談話しを持ちかけることになった。熱心だったのは榎(定之)さん、庄(祐照)さん、松川(正美)さん、皆室高1期卒室工大の学生、私に生まれて初めてのドイツ語を口移しで叩き込んだ。 「ダス-ヤール-デル-シェーネン-タウシュンゲン」。 数日後駐在巡査に肩を抱きかかえられた私は「孝(飯島)さんが大事にしてる言葉、オレ知ってるよ」とヤったのである。駐在は反応した。「デル、ダス、…それだ! 火炎瓶だ、爆弾だ、も一回云ってくれ!」。駐在は大慌てで走り去った。私の報告を聞いた先輩たちはからかい話しが嵌って大喜びだった。 「Das Jahr der Schonen Taushungen」 ハンス・カロッサの小説『美しき惑いの年』は未だ邦訳されていなかったのではなかろうか。先輩たちはガリ版刷りの教科書の部分に目を通しておられたように思う。当の飯島さんは苦笑されながら「学がないからと言って下っ端巡査をからかうのは止めてくれ、そんなのオレの一番嫌いなことじゃないか!」と同輩たちをたしなめた。 こんな大先輩たちとも一緒に酒呑める私等皆71~2、先輩諸兄喜寿、同じ大学の寮の先輩でもある佐藤四郎さんと最近お話ししたとき、佐藤さんは「榎と庄はもう逝っちまった、松川は健在、飯島は知ってんだろ?」…、だが、飯島さんは技術の会社に勤められた後岐阜経済大学教授になられたが、二、三年前お会いしたかったところ「喋ることもままならない情けない身(脳梗塞)を看に来ないでくれ」とのことであった。 この室高1期、相撲の全国優勝を果たした学年、主将平さん・副将高須さんは大学でも強豪であった。3番手の古宮さんは後々東芝の副社長までなられた方、4番手が先ほどの佐藤四郎さん=大学の電気工学卒業/新日鉄の傍系企業の経営者を勤められた。皆さん経歴いろいろだが、どうも我々より個性的/独自性が優れて居られるような気がする。佐藤先輩は「そんなこともあるまいが、お前等俺たち/青年と少年が係わり合った時代の感覚が今薄れてしまった気はするなあ。」と云われるが、白鳥会など、そんな繋ぎが有用なのかもしれない。 |
東京白鳥会合唱団がミニコンサートを開催!!
2008 / 07 / 16 ( Wed ) 東京白鳥会合唱団がミニコンサートを開催!!
2008年7月12日(土)午後2時30分~から白金台福祉会館において東京白鳥会合唱団のミニコンサートが開催されました。 渡辺雅様の挨拶に引き続き、全員での四重唱「北海道室蘭栄高等学校校歌」でミニコンサートがはじまり、第一部は、合唱団の皆様による独唱・二重唱・三重唱が披露されました。 休憩時間になると、外は強い日差しのお天気だったにも係わらず、急に暗くなり、嵐へと変わり、大風と大雨が横なぐりで窓をたたいていました。 第2部は、全員でのAve Verum Corpusの合唱で始まりました。 独唱・二重唱、オカリナ独奏が優雅に、お話しは楽しく、独唱、合唱で懐かしく・ほのぼのと感じられました。皆様の練習の成果が、ぎっしりと詰まった、楽しいコンサートでした。 最後に笠松巌様の挨拶でコンサートが閉会しました。 ![]() ![]() |
夏の浜辺に親子鯨!
2008 / 07 / 15 ( Tue ) 夏を迎えたイタンキ浜
霧の中の洞爺湖サミットも終わり、胆振地方沿岸はしばらくはガスの中。 たまの晴れ間にイタンキを散歩すると、親子の鯨が悠然と沖へ向かって泳ぎだすような風景に、昔のアイヌの伝説を思い起こさせます。 ![]() 撮影 12期 羽立二三夫 |
驚き!八重桜が夏に顔見世
2008 / 07 / 04 ( Fri ) 室蘭ゴルフCCに八重桜
![]() 室蘭ゴルフ倶楽部・白鳥コースでコンペがあり1番ホールに集合したら、この夏の真っ最中に八重桜が咲いていました。 北海道がいくらサクラの時期が遅いとは言え、今頃咲くとは異常気象のせいか? 特に今年は、サクラの開花が例年より早く、異常気象と言われていたのに! このサクラは八重桜の小ぶりの花で可愛らしい花びらでした。 きっと7月7日からj開催するサミットにあわせ開花したのではともっぱらの話でした。 ちなみに道央ではサミットに合わせ蕾を持った苗木を冷凍して今出して、サミットに花を咲かせようとする取り組みが行われています。 尚、7月5日付の室蘭民報にも話題になってます。リンクしてみてください。 ![]() ![]() ![]() 7/5室蘭民報より 室蘭白鳥CC1番 なお、ゴルフ場のハマナスの花も合わせて送ります。池には蓮も綺麗に咲いていました。 (10期 大場龍雄さんから便りです。) |
6期 「十日会」
2008 / 07 / 01 ( Tue ) 栄六期会東京支部のこと
ここに一枚の写真がある。栄高校六期卒業生の還暦記念の修学旅行として、平成9年5月ハワイのホテルを背にした写真である。 ![]() 日に映える諸兄姉はまさに還暦60歳ながら、元気溌刺とした姿であった。11年の歳月が流れ、既に鬼籍に入られた人々の元気だった顔を老眼鏡の奥に捉えて心が痛む。 高校卒業以来20年経った昭和51年に東京と室蘭でほぼ同時に開催された同期会が、室蘭では母校の開校記念日が6月10日であることから「十日会」として、東京では六期会東京支部として始まり、札幌支部も発足して活動してきた。40歳代から60歳代の人生の中でも忙しい時代によく続いてきたものと思う。 東京支部のメンバーは、東京・関東一円と、北は仙台から、西は広島・名古屋・静岡の在住者で一度でも会に参加してくれた人40数名からなり、毎年、新年会と旅行会で親交を暖めてきた。新年会も、一月の下旬から二月にかけて大体は新宿周辺で開催するが、自宅から電車で1~2時間掛かる現状では、幹事はスケジュールに追われ、心残りが先立っことになる。時を忘れ大いに盛り上がるには、やはり一泊泊まりの旅行会ということになった。 幹事は男女2名、毎年の新年会で出席者の総意で選び、旅行会の企画をお願いする。事務的なことは常任の幹事が引き受け、幹事になった人が余り負担にならぬよう、皆は自らのできる範囲内で支援していただく。大きなトラブルもなく来れたのも、いずれの場合も、その地の利を知るメンバーに幹事になってもらい、手弁当での十分の事前調査と準備のお蔭である。特に、室蘭・札幌からも大勢参加頂き、故郷の香り・便りが懐かしく、旅行会を一層盛り上げて頂き、大いに感謝している。 旅行会は、昭和54年に定着して以来、30回を数える。 室蘭との合同旅行会は八幡平(S57年)、大洗・筑波(S60年)など、特に、八幡平は、「二十六年目の修学旅行」と題意して、西田(旧姓安保)さんが白鳥会報第三号に寄稿されたので、記憶されている方もいることと思う。 大洗・筑波(S60年)の時は1985年の室蘭・大洗間フェリー就航第一便に当時の岩田室蘭市長と共に六期の北海道在住者30名が乗船し、雨の大洗港に出迎えた東京在住者20名と共にフェリー就航歓迎式典に参加、当時の科学万博を駆け足で見学と慌ただしくも懐かしい思い出である。通常の旅行会は、やはり関東一円に限られてくるが、遠くは金沢、京都と一泊旅行にはやや強行日程ながらも心に燦として残るものもある。 旅行会の一大イベントは還暦旅行としての「ハワイ旅行」である。今から 20年前の創立七〇周年記念の会の後の同期会でわき上がった遠い夢を企画した。なにせ還暦とは言っても、男性は未だ現役、女性は家の要。参加人数を危惧したが、企画の呼びかけに全国に散開している同期生20名(男性8名、女性12名)が参加した。この時ばかりは、同期幹事の内海光啓君のコネを最大限に利用させて頂いた。参加者の半分以上が海外旅行初体験であったので、四泊六日という駆け足旅行ながら、格安より、安心・安全を感じる企画が第一と心得た。なんといっても、ワイキキ海浜のシェラトンワイキキホテルで全員オーシャンビューの部屋は参加者を喜ばせた。2日目はオアフ島一周、途中花飾り、フラダンスの実習と童心に返ってはしゃいだバス旅行であった。3日目はマウイ島周遊、海面から標高3000m級のハレアカラ山頂までバスで一気に上る。マグマに直結するも2000年の眠りにある世界最大の広大な静まりかえった火口原に驚嘆、サトウキビ列車を満喫する。4日目は楽しい自由行動、思い思いの行動で、ショッピングに出掛けるもの、ワイキキの浜で日光浴を楽しむもの、久しぶりの海水浴に浸るもの、オアフ島を上空から感激の観覧飛行に出掛けるもの、10ドルでワイキキ沖の白人の女性陣に囲まれた遊覧船へ・・・・と多岐にわたって,自由時間を満喫。帰りの飛行機は疲労感と満足感でただただ眠り込んだ。 同期会発足時、遙か彼方の30年後に一区切りを付け、同期会を卒業するとの目標を立てた。創立90周年記念の会の後、室蘭で同期会の卒業式を開催、全国から70数名の参加と積丹を巡る旅行会を敢行。名残惜しみながら一つのエポックに幕を引いた。東京の同期会では、旅行会は卒業したものの、年一回は互いの元気な姿を確認したいとのことで、新年会は、毎年2月第1土曜日、昼食会を続けることにしている。 同期会を永く続ける秘訣は、固定した連絡者を決めること。全員が背伸びをしないこと、社会的肩書きははずして、仕事を持ち込まず、自分の出来る範囲内で協力し合って行くことだと考えている。さらに大事なことは、家族特に配偶者の理解を得られることにあると思う。 我々、栄高校六期卒業生として、栄町のあの大正建築の校舎・学校生活の思い出を共有する絆は、年齢を重ねて行くこれからの人生のなかで大事な宝と思っている。 (遠藤幸平 記) |
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