日本TV「秘密のケンミンSHOW」に室蘭カレーラーメン登場!
2009 / 06 / 29 ( Mon )
日本TV「秘密のケンミンSHOW」に室蘭カレーラーメン登場!

日本テレビ、毎週木曜日放送の「秘密のケンミンSHOW」東京で食べられる故郷の味をテーマに、室蘭カレーラーメンが登場します。
室蘭カレーラーメンは昭和46年、室蘭市本町で開店した「味の大王室蘭本店」の人気商品となり、いまや市内のラーメン店の6割が販売しているほどふるさとの味として室蘭市に定着しています。
 

カレーラーメン

 

無炉爛01この番組の収録は東京白鳥会の16期卒業生の八百坂さんが田町駅前で多数店経営されている駒八グループのひとつ「無炉欄」で撮影されました。唯一東京で室蘭カレーラーメンと室蘭やきとりが食べられる「無炉欄」は室蘭がいっぱいつまった「味な店」です。
この室蘭カレーラーメンは酒と焼き鳥の〆にラーメンというパターンにベストマッチ、鶏がらスープにあっさりした味付けになっています。
駒八グループのお店の案内はこちらから。


尚、この番組の放送は 
7月16日(木) PM日本テレビ系列 21:00 - 21:54



他に東京近郊で味あう室蘭ラーメンは町田の「雷文」があります。北海道産の昆布に魚介類の味に鶏スープをブレンドしたあっさり味のラーメンらしいです。
他に東京近郊で室蘭の味をご存知の方はご一報下さい。


★早速情報を頂きました。
室蘭焼鳥「男吉」(東西線浦安駅)詳しくはこちら  東京近郊で室蘭やきとりを楽しめるお店です。鳥辰や一平と同等とはいきませんが、かなり涙が出る感じです。
13:18:41 | ミミヨリ情報 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
われらベビーブマー
2009 / 06 / 10 ( Wed )
われらベビーブマー

                    16期 星のおじさま

我が16期の多くは昭和22年4月2日から昭和23年4月1日生まれである。
つまり我々は戦後のベビーブームと呼ばれる真っただ中に生まれ,昭和22年・23年とも同い年が230万から250万人ともいわれる程に存在し有史以来の最大の塊であり、つまり団塊(ダンカイ)の世代と呼ばれる所以である。
(これを塊の字が魂の字に似ているところから誤ってダンコンと発する人が時々いる。
あなたは大丈夫ですか?危ない音の響きに気をつけるように。)

思えば生まれてから六十有余年競争の連続であった。
子供の頃は食べるものにも事欠き、今とは違い兄弟も多く、早い者勝ち、気が付いたら小さい自分の分は残っていないというのが現実だった。何をするにも遠慮をしていては駄目でいろんな意味で鍛えられたし、要領も良くなった。
小学校は大和小学校に入学した。ピカピカの1年生ならず、教室が足らず2部授業制の遅い登校でグランドから教室を覗いて仲間が勉強しているのをうらやましく見ていたものだ。大和坂(切割り)で風に飛ばされながら通学したのも懐かしい。間もなく東園小学校が開校され多くの友達と別れたのを覚えている。
中学校は鶴ヶ崎中学校に入った。東園小に分かれた友達が戻ってきた。大沢小からも新しい仲間が来た。 クラスは16組まであり、ひとクラス60名編成だった。やはり教室が足りない。私は15組、技術の工作室が教室だった。音楽室も理科室も教室にあてられた。
とにかく人が多かった。校舎もボロだった。私は姉のあとを追いバスケットボール部に入部したが体育館の床はツギハギでドリブルをすると何処へ行くかわからなかった。天井には梁があり低い、ロングシュートは打てなかった。梁の上を通して入れる特殊な技術を習得した。このことがその後の自分のバスケスタイルに影響したのかもしれない。
ここでも間もなく東中学校が開校され多くの仲間と別れることになる。
そして、昭和38年晴れて栄高に入学またまた別れた友と再会するのである。
またこの年、我々には直接影響はなかったが、従来の栄高の学区から東高校が新設分離した。
このようにまさに離散集合の繰り返しであった。
それが今では隔世の感である。私が巣立ってきたいずれの学校もここ数年前から、統廃合で元の状態に戻っているとのことを知り、感慨深いものがある。(詳しくは白鳥会ホームページをご参照あれ)
                              
 さて高校生活は“自由闊達”の校風そのもので、とても楽しい3年間であった。
私は予定通りのバスケットボール部に入部した。一緒に鶴中から3人東中から2人入り、絶対強いチームになるとの前評判であった。
コーチも日体大でレギュラーだったル-キー先生を迎え、完璧の体制であったが、3年間一筋で頑張った割には戦績はいまひとつ振るわなかった。

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16期-116-4.jpg

クラスは2年・3年と持ち上がりで、結構まとまりがあった。よく遊んだ文化祭・体育祭・キャンプ・修学旅行等々、一方ほとんど勉強はしなかった。(ただこう思っていたのは自分だけだったのかもしれないが)

卒業の時が来た。クラスの3分の1くらいが進学したろうか、このころ子供の頃から描いていた道が甘くはないことを知った。初めての挫折であった。
それでも夫々が納まるところに納まった。

その後高度成長期に乗って、社会に出てオイルショック・バブルを乗り越え、仕事人間と呼ばれながらも耐え抜いた四十年弱、一昨年めでたく?“カンレキ”を迎えた。
しかしまだ仕事を止めずにいるのは悲しい性であろうか。
 栄高卒業後、クラス会が同期会に変わったのは卒業20周年の時であった。当時青森に転勤で勤務していた私は勇んで参加したのを覚えている。懐かしい友の顔はみな若かった。
 その後5年おきに25・30・35周年と回を重ね、平成18年11月18日の40周年記念は登別温泉で初めての一泊の会となった次第である。みなアジのあるいい顔をしていた。

16期集合

別れ際に次回の5年後は生きて会えないかもしれないとの声が上がり、今後は3年おきにしようと決めたのが丁度3年前、今年がその年に当たるが今から大いに楽しみである。
 室蘭の幹事の皆さん準備の方は大丈夫ですか?
 
 現在はといえば地元地域で休日はゴミ拾い、夜間は街角パトロールなどのボランティア、卓球でお年寄りとのスポーツ交流、一方白鳥会ではワカイ仲間と月2のコーラスと充実過ぎる日々を送っている。
あと数年は仕事も続けるつもりでいるが、今まで自分本位で好き勝手に生きて来た人生を振り返り、今後は利他の人生を歩んで行こうと心に決めているところである。
                                                      
                                
 おまけの一言
皆さんは4月1日が早生まれに入ることをご存じだったろうか。
こういう私も、たまたま同期に昭和23年4月1日生まれの女子が居り中学の時同じクラスになり教えられたことを未だに記憶に残っているからであるが。
どうも入学基準の年齢に達しているかどうかは4月1日の年齢によるという法律があるらしい。
つまりこの人は同期で1番若い女性ということになるが、これが損だったか得だったかは本人のみぞ知るである。今度会うことがあればこの答えを聞いてみたいと思う。
これを読んだらたまには白鳥会か同期会に参加して答えを聞かせてチョ-ダイ!!


東京白鳥会のホームページ知らない人が多すぎる。みんなでもっと広報活動をしよう!!
17:39:20 | リレーエッセー/時のかけはし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
新日鉄室蘭が100周年記念式典!
2009 / 06 / 10 ( Wed )
新日鉄室蘭が7月30日、100周年記念式典!


新日鉄 004

新聞1
新日鉄室蘭が開設してから100周年が経過したことから、来る7月30日に同所では記念式典を行うそうです。

新日鉄 002

昨年は、日本製鋼所が明治42年に現在地に開設され100周年を迎えたことで盛大に記念行事がおこなわれましたが、これに次いで新日鉄がその偉業を讃え記念事業を執り行うようです。

新聞2
室蘭より 記事:写真 10期/大場 龍雄

12:48:03 | 室蘭便り | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
丸井室蘭店が閉店決定!
2009 / 06 / 05 ( Fri )
丸井室蘭店が閉店決定!


このたび、丸井室蘭が来年1月に閉店することになったことを発表しました。

丸井閉店

丸井 001
明治24年に開店以来、119年存続した丸井室蘭店が終止符を打つことになり、室蘭市としてもこれまでの存続署名運動の甲斐も無く、閉店にがっかりしています。

丸井は三越・伊勢丹グループの傘下に入り再建を目指しますが室蘭は単独黒字が難しく閉店と決まったようです。

今後の跡利用の目鼻は立っていません。
室蘭の活性化のためにも、街づくりの観点からも寂しい結末を迎えることとなり

          
    室蘭より  記事、写真:10期 大場 龍雄

 
丸井室蘭店
18:07:40 | 室蘭便り | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
我が青春・高校時代の想い出
2009 / 06 / 01 ( Mon )
「我が青春・高校時代の想い出」
                                                  17期:大津信二

 私たち17期は昭和23~24年生れの真に団塊の世代、何もかにも大勢の塊が今日まで続いています。良しにつけ悪しきにつけ、逃げようのない環境で育ちました。
 丁度、昨年還暦を迎える歳になり、高校時代の記憶も大分薄れて来ましたが当時の頃を思い出して見ました。

< 栄高入学 >
私は、中学校は向陽中、2学年から鷲別中に転校して卒業しました。
高校入試は当時、学区制があり、栄高・東高・登別高と分かれて進学しました。鷲別在住は栄高でした。入学当初一番印象に残っているのは、登校初日の昼休み、当時は皆んな弁当持参でしたが、昼食中に、『メシ、ヤメロー!・起立!』大声で叫び、野球のバットで机を叩きながら、応援団の3年生( 15期の先輩 )が教室に乱入して、校歌・応援歌の指導がありました。そういった経験がほとんど無かったので、本当に縮み上がりました。純真だったのでしょう、本当に恐かった。でも、お陰さまでいち早く校歌も応援歌も覚えることが出来て、今思えば、先輩の優しさだったのでしょう。 

 クラス数は9、1~8組が普通科・9組が家政科(女子のみ、 今は無くなったそうですが)でした。1・2組が男子クラス・3~8が男女共学だったかな?私は3組、担任は数学の佐藤弘先生でした。男子は詰襟の学生服、女子はセーラー服、ちょっと大人に成ったかなと誇らしげな思いがありました。

< 3年間の高校生活 >
 学区は良く覚えていませんが、輪西から東側の色々な中学から来ていましたので、最初はぎこちなかったですが、すぐに打ち溶け合って楽しい高校生活がスタートしました。
 部活は数ある中で、体操部に入りました。当時は大谷高校との合同練習もあり,その中に美しい先輩がいて、憧れました。入部の動機は不純だったかも知れません。スポーツ部は数多く狭い体育館でひしめき合って練習していた思いがあります。体操部では畠山君・毛利君らと一緒でしたが、私は未経験でしたので、彼らの演技に見惚れている毎日でした。
 当時、生徒会活動も活発だった。委員長選挙があり、当選した委員長が他の役員を選んで組閣する方式で、流石、高校だなあと思ったのを覚えています。私も1学年の後半に2年生の小笠原委員長に誘われて、委員の一人になり、確か厚生委員を担当したと思います。
同期で番場君・小林君(次期委員長)・片岡君らと一緒で、女性副委員長の蔦先輩を始め女性陣も活躍されていて、随分と可愛がられました。
 部活は生徒会活動で忙しく成ったこともあり、番場君に誘われて、山岳部に転部しました。そこで、大学も一緒になる七崎君と知り合いました。山岳部は国語の塚田先生が顧問で、ご一緒に大雪山系の縦走をやりました、苦しかった。そのとき塚田先生がタバコを切らして、辛そうにして居られたのが印象的です。今ならそのお気持ちが良―く分ります。

 2年生になる時、クラス替えがあり、私は5組に入り卒業まで2年間、このクラスの仲間と楽しく過ごしました。良く覚えているのは、3年生の時の体育祭。私はスポーツが好きで色々やりましたが、2学年の時バレーボールで優勝したので、3年はバスケで優勝を狙って出場しました。当時、4組にはバスケ部の八百坂君・阿部(トシ)君らがいて、強豪で本命でしたが、その4組を準決勝で破り、番狂わせの決勝進出、しかし決勝で2年生のクラスに敗退、優勝は叶いませんでした。4組の試合で精魂尽き果ててしまったのでしょう。凄く悔しかったし、残念でした。

 こうして書き始めると色々な出来事が浮かんできて、止め処無くなってきます。今回はこの位にして置きます。正確ではないかも知れません、間違いがあったら、ゴメンナサイ。

< 卒業、そして今 >
 17期はS42年卒業、私は地元の大学でしたので、卒業後何回か3年5組のクラス会を開いた記憶がありますが、大学卒業、農機メーカーに就職、四国松山に配属されてからは皆んなとほとんど音信不通なっていました。東京に転勤に成ったことから、東京の同期会に参加するようになりました。高校在学当時余り話した事もなかった方々も居りましたが、今は毎年1月に八百坂君のお店で開く同期会で、ワイワイガヤガヤと楽しくやっています。八百坂君のお陰です。

 又、東京転勤を機に故郷会・東京登別げんきかいの発足にも関わらして頂き、その縁で登別市役所に勤務していた中河原君と再会して、昨年、中河原君が東京出張時に合わせて3年5組の東京支部クラス会をはじめて開催しました、八百坂君のお店で。女性陣4名を含めて、9名が集い、40年ぶりの人も居て、懐かしいやら照れくさいやら、本当に楽しいひと時でした。中河原君のお陰です。

取り留めも無い事を書き進めて来ましたが、今回、東京白鳥会のHPのリレーエッセイに寄稿するに当たり、何人かに投稿をお願いしましたが、軽く断られた為、止む無く私自ら拙い文章を書くことに成りました。同期は60歳に成りましたが、まだまだほとんどが、現役ですので、その気になれないのかも知れません。事務局の小林先輩の「何としても,リレーさせるゾー」との熱意に負けて筆を取りました。次回はきっと時間も心の余裕も出来ていると思いますので、多くの同期に思い出を書いて貰います。

まだ書き足りない事、早逝した東君・本川君そして仲の良かった番場君らとの想い出・恩師の消息など、色々有りますが、これからも東京白鳥会の発展を祈りつつ、筆を置きます。

17期
昨年の10月17日に開催した17期3年5組の東京支部クラス会
八百坂君のお店:「駒八本店」にて





 
01:10:56 | リレーエッセー/時のかけはし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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