10月3日、18期同期会が開かれます!
2009 / 08 / 26 ( Wed ) 10月3日、18期同期会が開かれます! 1968年(昭和43年卒) 羽立修治 え~私たち、室蘭栄高校18期生と呼ばれておりますものどもは、1965年(昭和40年)入学、1968年(昭和43年)卒業が標準仕様となっているようであります。出生年でもうしませば、1949年(昭和24年)から1950年(昭和25年)がメインのようでございます。ということは、ほとんどの同期生がこの一年で、誕生以来十二支を5回り経験してしまうという運命のようであります(もちろん、既に経験済みの方もいらっしゃいますが)。私たちは、いわゆる「団塊の世代」のラストランナーのようなものでして、今から振り返ってみますと、物心が付いたときからいつも、多くの諸先輩たちの後ろにくっついて歩いていたような、そんな思いがしております。余談ですが、職場でも気が付いたらこの1・2年で、前を歩いていた方々がどんどんいなくなり、唖然としてしまったなんて経験をしたのは私ぐらいのもんでしょうか。 東京オリンピックの翌年にあたる1965年4月、登別町立鷲別中学校を卒業し、北海道立室蘭栄高等学校に入学した少年にとって、入学翌日からの、昼休みを使った応援練習ぐらいびっくらこいたものはございませんでした。昼休み、緊張の中で過ごした午前の授業を終え、待望の弁当の蓋を開けたとたん、教室の扉が開き、応援団の方々が乱入(もとい、入室)。「今から、応援の指導を始める!」との一声のもとに、昼休み中、校歌の指導をしていただきました。さらに、「明日からは、昼休みと同時に体育館に集合!」とのご指示。翌日から3年間、私の昼食時間は3時限終了後となりました(私にとっての早飯とは2時限終了後のこととなりました)。 1年時は7組、担任は中島晴雄先生、2・3年時は1組で担任は佐藤文彦先生でした。部活は郷土クラブに所属しておりました。世間では、高度経済成長真っ只中、激動の60年代後半から70年への胎動が起こり始めていたころ、私自身は、きわめていいかげんな高校生らしく、だらだらとした高校生活を送っていたのでありました(その姿勢は現在もあまり変わっていないようです)。まあ、このような私でも、諸先生方の御寛大なご対応と、授業中、先生に指名された私に即座にノートを差し出してくださった級友たちの、度重なる適切なサポートにより、無事に卒業を迎えることができました。皆様には深く感謝しております、 さてそんな私も北海道を離れてすでに40年を過ぎ、「アラ還」を迎えようとし、高校生時代を懐かしむようになっている今日この頃、在室蘭の同期生たちが素晴らしい企画を考えてくれました。「第2回同期会」です。 ![]() ![]() ![]() 06年10月に「第1回同期会」が開かれましたが、私は残念ながら出席できませんでした。しかし、唐木先生・佐藤文彦先生にも出席していただき、たいそう盛況な会だったと聞いております。私も、今回は是非出席しようと決めております。連絡の取れる方にはすでに案内状が届いていることとおもいます。また、ここで初めて知った方がいらっしゃいましたなら是非ご連絡ください。 10月3日(土)18:00 「ホテルサンルート室蘭」 室蘭市中島町2-28-6(TEL0143-43-2333) 多くの方とは40数年ぶりに会うことになりますが、自分の変化は棚にあげて、この間の皆さんの歴史を感じられたらと、わくわくしております。10月3日お会いしましょう。 |
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