「時をこえて・・・・そして今」
2009 / 11 / 26 ( Thu )
「時をこえて・・・そして今」  室蘭栄高等学校第19期生 中 村 正 志

どうして私が・・・>
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栄高校第19期生は、昭和25年(1950年)26年(1951年)生まれです。同期の中には、数人先輩の方もいらっしゃいました。
昭和25年は『強の寅』(五黄の寅?)で、強い女性が多くいると言われています。今回、小生が東京白鳥会のホームページに寄稿することになったのは、まさに『強の寅』の力関係のせいなのです。四十数年前の高校在学中も“女性上位”であったことはいうまでもありません。(?)「室蘭在住の人から、室蘭の懐かしい空気を知らせてほしい」という要望を断りきる ことが出来ませんでした。思いつくままに、拙文を恥じながら綴ってみます。
P> (写真:現在の東室蘭駅)

<初めての大学区制での受験>
白鳥会2昭和41年4月入学の栄高校第19期生は、高校受験が大学区制になった初年度でした。それまでは室蘭市内でも普通科高校への進学は、地区ごとに決まっていた小学区制でした。他市町村からの受験も基本的には出来ず、清水丘高校には蘭西地区の中学生しか受験できなかった時代です。その当時は、清水丘高校のほうが優秀だったと思います。
現在は登別市と白老町を境として、胆振東部と西部の二学区に分かれています。大学区制は長くは続きませんでしたが、第19期生は胆振西部の中学校から、とても優秀な方がたくさん来ていました。(自分と比較するとみんな優秀?)記憶が定かではありませんが、高校入試は740点満点ではなかったでしょうか?
高校もずいぶんと変わりました。室蘭市内でも室蘭商業高校、東高校が閉校し、二校が統合した形で東高校校舎を改築して、総合学科の高校として東翔高校が開校しました。登別高校が閉校し、登別南高校と統合した後、青嶺高校と校名を変えました。私立高校も、ベネディクト女子高校が男女共学となって海星学院高校と校名を変え、3年後には室蘭、登別の両大谷高校が校名を変えて統合されます。公立高校の間口は、全道で一番“広き門”の学区となっています。それだけ生徒数が激減なのです。今年の10月1日現在で、室蘭市内の中学生の数は2,217人です。団塊の世代の時代の生徒数の何分の一?(小生は中学校に勤務しています。)
(写真は東口商店街・・・駅より学校方向、人が見当たりません)

<小中学校も少なくなってます>19-3

室蘭市内の小中学校も生徒数の激減により閉校・統合が続いています。室蘭市内には小学校22校、中学校11校ありましたが、現在、小学校20校、中学校10校になっています。これまでに朝陽・母恋・大和・東園小学校、成徳・御前水中学校が閉校しています。来年の3月末で中島小学校と日新小学校が閉校・統合となり、「旭が丘小学校」が中島小学校の場所に開校します。その後、平成23年には鶴ヶ崎中学校と東中学校が閉校・統合し、大和小学校跡地に「翔陽中学校」が開校。平成24年には、蘭東中学校と向陽中学校(現在校名募集中!)、平成25年には北辰中学校と港南中学校、平成27年には蘭西地区の4小学校(絵鞆・桜ヶ丘・常盤・武楊)が閉校・統合されます。現在の計画では、最終的に、小学校1 6校、中学校7校になる予定です。
室蘭市の人口が18万人いたころに比べると隔世の感があります。市町村合併、生徒数減少、校舎の老朽化、校舎耐震構造基準の厳格化等により、室蘭ばかりでなく他市町でも閉校・統合が続いています。豊浦町は豊浦中学校1校になり、お隣の伊達市でも、今年度いっぱいで有珠中と長和中が、光陵中学校に統合されます。母校がなくなっていくのはとってもさびしいものですね
。(写真は東町ターミナルです、学生ラーメン30円?)

<昭和43年5月16日、午前9時48分53秒>
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 (左写真:奥が今の学校です) (右写真:学校から東室蘭駅方向です)

この日付をご記憶ですか?高校時代の一番強烈な思い出は、高校3年生の5月16日に起こった“十勝沖地震”です。マグニチュード7.9、震度5の地震でした。その夜、真っ暗な中で起きた余震(19時39分)もおっかなかった!(怖かった)
この日は、ちょうど春の球技大会真っ最中でした。小生は体育館でバスケットボールの試合の審判をしていました。最初は何が起きたのか全く判断ができませんでした。床が激しく揺れ、固定されているバスケットゴールが、振り子時計のように大きく揺れていたのを覚えています。(余談ですが:次の年、インターハイのバスケットボール全道大会が室蘭で開催され、栄高校も会場となりました。函館の大野農業高校の先生が「ゴールちょっとずれてない?」本当に5cmほどフリースローラインから遠くなっていました。“十勝沖地震”の置き土産でした。)
体育教官室の集合煙突が倒れました。イタンキ浜側の山のがけが崩れ、グラウンドには大きな亀裂が走っていました。東町に移転してから、まだ10年ほどしか経っていなかった校舎(10年しか経っていなくても、ずいぶん痛んでいたな~)も大揺れに揺れたそうです。渡り廊下で倫理・社会の年配の先生が、右往左往していたとか・・・?とにかく怖かったです。幸いにも、暖かくなりかけていた時期でしたから、火事が発生しなかったのがなりよりであったと思います。もちろん、球技大会は中止となり、徒歩で帰宅しました。
翌年、大学に合格して函館に行ったとき、講義室の天井が一部落ちていました。前年の地震のせいだということでした。被害は、東北方面のほうが大きかったようです。津波警報発令のときに、震源地を十勝沖と発表したためこの名がついたそうです。本来であれば「三陸沖」又は「三陸はるか沖」地震のほうがふさわしいとインターネットに載っていました。一生忘れない思い出です。


<学生運動・・・東大紛争・・・そしてもうすぐ定年です>
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小生等が高校を卒業する昭和44年度の大学入試では、安田講堂の攻防が続いていた東大の入試が行われませんでした。当時はまだまだ学生運動が激しかった時代で、全国いたるところの大学でストライキ、紛争が起きていました。今思えば、学生のエネルギーが、熱く激しく燃えていた時代だったんですね。東大を目指して頑張っていた同期生が数人いたと記憶し ています。彼らにとって見れば、とても悔しい年だったのだと思います。
私たちは、団塊の世代の次ぐらいの年代です。そんな私たちも来年、再来年“還暦”です。本当に早いものだとつくづく感じています。聞くところによると、来年、栄高校第19期生の同期会を企画している方がいらっしゃるとか・・・。42年ぶりに会う同期生もいます。高校時代の同期会、クラス会には縁がありませんでした。今回は、案内を楽しみにしています。室蘭市内の小中学校には、栄高校の同期が数人います。常盤小学校:赤坂隆夫君、高砂小学校:堀泰造君(森下勇君もいたのですが、昨年度早期退職)です。定年を指折り数える毎日を送っているのは小生だけかな?
今回、高校時代を思い出す良い機会を作ってくれた『強の寅』の女史に感謝です。ありがとうございました。 同窓の皆さん、いつまでもお元気でご活躍ください!
p> (写真:現在の栄高校です)

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