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<どん尻会>の感慨
2008 / 03 / 19 ( Wed )
<どん尻会>の感慨! 室蘭栄高校2期生 佐藤嘉一 
abe&satoh
 1期生の阿部一猛さん(左)と一緒、2012年東京白鳥会総会にて

混 沌
 1946年(昭和21年)室蘭中学に入学。敗戦の翌年、世情は混沌とし、政治や経済は混乱していた。
殊に、食糧事情は困窮を極め、〈買出し〉〈物々交換〉〈闇市〉など耳慣れない言葉が流布した。
憧れの室蘭中学校の校舎は、歩くとギシギシと音をたて、廊下の撓みにも歴史を感じさせていた。
室蘭の街を、進駐軍のジープが我物顔で駆けている。その頃、中学校には予科練帰りの先輩たちが次々と復学して来た。眼光鋭く、命を投げ出して征った戦場の雰囲気を醸している。
入学早々のある日、生徒大会がもたれた。体育館の壇上に校長を引き出し、生徒を戦場に駆り出した責任を糾弾し、校長に「腹を切れ!」と迫る。校長は土下座して、生徒に謝っていた。新入生の僕たちは、事態を受け止めるのに恟恟としていた。
髭面の上級生が、決まって昼時間には竹刀を持ち、集団で現れ、一年生の5教室を巡り気合いを入れていた。僕たちは身を竦め、恐怖に慄き耐えていた。そして、早く下級生が欲しい!その時は竹刀を持ってーと..........


ミンシュシュギ
やがて中学生活にも馴れたころ、軍靴の闊歩する暗い時代が一転して、民主主義の時代を迎えていた。
ミンシュシュギ(・・・・・・・)! 聞き慣れない言葉と共に様々な文化が、抑圧されていた日本中に噴騰した。音楽、文学、演劇、そして美術の色彩が眩い光を放って溢れた。小学校の教室が開放され、レコード鑑賞、社交ダンスに興じる青年男女。外国映画の上映に瞠目し、広く世界を識る事もできた。それぞれの同好者が集い、サークル活動が華やいだ。
 1947年(昭和22年)、新学制が施行され、室蘭中学は室蘭高等学校となり、私たちはその併置中学とされた。室蘭中学は終止符を打たれ、私たちは最後の旧制中学生となった。現在、〈どん尻会〉として同期生の集まりをもつ、命名の所以である。手薬煉ひいて待った下級生は、到頭現れる事なく終わった。
 1950年(昭和25年)、室蘭高等学校は栄高等学校と清水ヶ丘高等学校に分割され、男女共学制が実施された。待ち焦がれた下級生を、女子生徒と一緒に迎える事になる。女子生徒を前にして「質実剛健」の伝統は脆くも崩れ、軟派化した我々は、竹刀を持つのをすっかり忘れてしまっていた。


演 劇
 中学三年の頃、私は上級生と語らって演劇部を創設したが、商業高、工業高、道立女子高、市立女子高など市内の各高校にも、こぞって演劇部がつくられ活動を始めた。そして、室蘭高等学校演劇連盟が組織され、合同公演がもたれる等、学校間の交流が盛んであった。この頃、学生音楽協会、学生映画連盟、高等学校美術連盟など百花斉放の組織が生まれ、私も幾つかの組織づくりに首を突っ込んでいた。
 共学前の演劇部は、商業高、工業高も男子高校であった為、脛毛に髭まじりの女形が活躍し、女子高校は宝塚的表現になっていた。共学によって、男は男役を、女は女役と、自然な形になれた。「共学万歳!」である。娯楽の乏しかった当時、演劇部の発表会は街中の人気を集めていた。
中学生に始まった演劇を、現在も仕事とし「演劇三昧」の人生を楽しんでいる。〈一生が青春〉を全うしたいものである。
近年は海外との交流が盛んとなり、招聘をうけてオーストラリア、韓国、中国、カナダ、スペインなど海外上演も多くなった。
特に、東アジアにこだわり、日本、中国、韓国の三国による合作の舞台を度重ねている。三つの言葉が一つの舞台で交錯し、それぞれの文化で刺激しあうのが楽しく、今年もまた企画を練っているところです。




佐藤嘉一さんは「劇団えるむ」を1975年創設し、30数年日本は勿論、オーストラリア、韓国、中国、カナダ、スペインなど各地で公演をしています。
昨年は日本、中国、韓国三国による合同公演「天の鍵」を総指揮し、上海・北京・韓国など各地で喝采を浴び、日本では6月に吉祥寺・前進座にて上演し、大成功をおさめました。


[劇団えるむ]のホームページはこちら
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