久々のリレーエッセー:23期「するめ事件」
2011 / 11 / 03 ( Thu ) 久々のリレーエッセー/23期「するめ事件」 23期卒業生:金森 亨 今はもう廃線となってしまった胆振線壮瞥町の壮瞥中学校から、室蘭栄高校に進学したのは1970年だったと思います。当時、多くが近隣の高校へ進学するところ、どうしても栄高校に行きたくて親に申し出ました。理由を聞かれて、「大学に進学したいから。」と言ったのを覚えています。なんと、軽薄で思慮の浅い志であったことか。 通学は大変でした。なにしろ授業に間に合わせるためには、壮瞥駅朝6時半くらいの汽車に乗らなければなりませんでしたから。生徒会活動に打ち込んでいたので、弁当を2つ持っていった時期もあります。一つは2時間目と3時間目の休み時間に、残りの一つは授業が終わってからという具合でした。 3年間の思い出はたくさんありますが、1つだけ紹介しましょう。それは世に言う「するめ事件」です。 当時は冬の暖房を石炭ストーブにたよっていましたが、せっかくのストーブ、暖房以外にも何か有効な活用方法はないものかと考えていました。そこへ誰が持ってきたのか、するめが出てきたのです。これは好都合と、休み時間にするめを焼いてみんなでおやつにしました。ところが、するめは結構匂う。次の授業が始まり、数学の先生がガラっと戸を開けて入ってこられたところで、「ん?臭い!なんだ、これは!」ということになりました。その時はそんなに悪い事でもないとの甘い認識だった私達は悪びれもせず「するめの匂いだ。」と説明しましたが、その後が大変でした。授業を受ける態度が出来ていないとの理由で、数ヶ月の間授業してくれなかったのです。 私達は、空いてしまった数学の時間に、反省し、話し合い、和解方法を検討しました。あの時、先生にもするめを残しておけばよかった。結局、担任の先生に間に入ってもらって和解が成立しましたが、数学の遅れを取り戻すのに相当苦労しました。 ![]() ![]() (近影) (香港在住したアパート) そんな高校生活を終えて、慶応大学に進み、卒業後は都市銀行に入行しました。銀行では主に海外畑を歩み、香港在勤時には、日本人学校のPTA会長を務めたこともあります。学校の催しの度にあいさつに立って、生徒に「学ぶことの大切さと、学びへの取り組み姿勢」を説く私の脳裏に、いつも「するめ事件」がありました。 現在は、銀行を去り、小さな商社の経営の一端を担っていますが、今後はいままでの経験を活かし、日本経済の高度成長を縁の下で支えてきた、中小企業の経営を支援する活動に従事していきたいと考えています。 するめ事件は、懐かしいです。私たちが高校1年の時の話です。昭和45or46年の話です。 事務局:23期/小笠原 |
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