東京白鳥会鴨下会長について
2011 / 11 / 30 ( Wed )
東京白鳥会会長 鴨下重彦さんについて

                                  2011年11月  栄3期卒業生 関谷 章

 鴨下さんがこの11月10日に亡くなられて居られたのを朝日新聞の記事で知った。
 鴨下さんは室蘭栄高校の在京者の集まりである「東京白鳥会」の会長を、創立以来この5月まで努めて下さって居たが、前立腺癌が悪化したために辞退されていた。
 9月の始め、鴨下さんからお手紙を戴いたが、この11月3日に神保町の学士会館で、鴨下さんが会長を務める「南原 繁研究会」の講演会で、鴨下さんが、「内村鑑三、南原 繁、及び、矢内原忠雄」と題した講演をなさることが知らされて居り、最後に、「この講演が私の最後の講演となるかも知れない」と書かれて居た。この「南原 繁研究会」には、何年か前にもお誘いを受けて居たが、その時には余り気が進まなかったので、丁重にお断りして居た。しかし、今回は事情が事情なので、鴨下さんの幼少の頃からお付き合いのあった近藤 武(元東大、東京女子大教授、数学)、岩佐善巳(元判事)、深瀬俊彦(元三井不動産)の諸君に声を掛け、私と私の家内もこの講演会に出席した。私自身は。内村鑑三と関係があると云うことで、若い頃に内村鑑三全集を購入して拾い読みした経験があると云うことから、個人的に興味を惹かれて出席したいと思ったのであった。
 当日会場で驚いたのは、鴨下さんが車椅子に乗って居られたことだった。これまでに私がお目にかかった時は一度としてそんな様子を目にしたことはなかった。それに鴨下さんの講演の時にも、普通なら広い会場の講壇に上って講演を行う筈であるが、車椅子のままで1時間半もの間、講演を続けられた。講演の少し前に、鴨下さんが偶然(?)我々の座席のそばを通られたので、今日は我々のそばに居た近藤君の外にあと二人が来て居る筈だと云うことを申し上げて軽く握手したのが、我々と鴨下さんの最後の会話となってしまった。
 当日の鴨下さんの講演は、どちらも内村鑑三の弟子であった南原 繁と矢内原忠雄の三者の相互交流を平易な語り口で示すものだった。その内容に興味をお持ちの方は、東大出版会から極く最近に出版された鴨下さんの編纂に依る「矢内原忠雄」と云う書物の「はしがき」と「1.生涯」の部分が鴨下さんが書かれた部分なので参照して戴きたい。
 私もこの書物を会場で入手して読んで見て始めて鴨下さんについて今まで知らなかったことを朧気ながら理解した様に思う。私が知って居たのは、鴨下さんが北大の医学部から途中入学で東大の医学部に来られ、小児科の教授として医学部長を務められて居られたこと位だったが、私が駒場寮で遊んで居た頃に、鴨下さんは上京されて直ぐ、矢内原忠雄の聖書研究会に出席して居られたことが判った。そして、鴨下さんが東大に転校することよりは、この聖書研究会へ出席されることの方が優先して居られたのかも知れなかった。しかし、鴨下さんはもう亡くなられてしまったのでこれらの事柄を鴨下さんに直接確認することは出来なくなってしまったのが無性に悲しく思われる。
 矢内原さんの岩波書店から出版されている「聖書講義」は、私が主として研究上の必要性から、キリスト教に興味を持ち、聖書を集中的に読んだ時期があったが、その時に参考書の一つとして購入して勉強した記憶があるが、信者になるには至らなかった。これも鴨下さんに確認したかったことの一つである。私が東大に入学した頃、確か矢内原さんは教養学部長だったと思うが、駒場寮がまだ健在で、寮生が町に出掛ける通り道に「矢内原門」と呼ばれるコンクリート製の立派な抜け道があったが、恐らく寮生が度々垣根を壊して通る頻度が余りに多いことから学部長の判断で出来たのでそう呼ばれて居たのであろう。この「矢内原門」については個人的には忘れることの出来ない挿話がある。それは、寮の部屋(一応社会思想研究会と名乗って居たが、勿論現在は消滅している)のコンバで怪我人が出て、彼を戸板に乗せて皆で運んで行ったが、「矢内原門」が狭いのと、運んでる人間が相当に酔っ払って居たため、そこで怪我人を落としてしまったことがある。幸いにして(?)落ちた怪我人も酔いで意識が無く、無事知り合いの外科医のところまで運んで行くことが出来たのだった。この話も鴨下さんには話して感想を伺いたいところであった。
また鴨下さんには、私が恥ずかしげも無く時々差し上げた駄文を丁寧に読んで戴いた。そして、私と家内とが琵琶湖を徒歩で周遊していることを話した時、鴨下さんはそれにとても興味を示され、ご自分が山好きであることから、三つの県にまたがる日本中の山を全部踏破されたことを話して戴いた。最近、この10月に私達は首尾良く(?)15年(実質10年程)の間に18回で琵琶湖周遊を終えたが、この報告を鴨下さんにして居なかったことも残念なことの一つである。ちなみに、前述の鴨下さんが最後に編纂された「矢内原忠雄」のカバーにはサザエさんの長谷川町子が描いた矢内原さんの姿が載せられている。
 朝日新聞の記事に依れば、鴨下さんを送る会が12月4日午後2時から国際基督教大学の礼拝堂で計画されているとのことである。供物、供花は辞退されているとのことである。
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