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挑戦!北海道一周マラソン:東回りコース/第一・第二ステージ模様
2013 / 11 / 11 ( Mon )
11期の高嶋さん・山形さんが東西に分担して挑戦している北海道一周マラソン、東回りの報告です。
挑戦!<北海道一周:東回りコース/第一・第二ステージ模様>
 栄高校13期卒業生:山形 修身


【私の挑戦】
 時は1965年5月、東京オリンピック翌年の琵琶湖毎日マラソンに金メダルのアベベ選手が出場、一緒に走る機会
を得た。なにしろ、甲州街道を独走する雄姿をみて”私もマラソンレースを走ってみたい”と憧れた、あの伝説のランナーである。皇子山陸上競技場出発・ゴールは現在と同じだが、当時の折り返しは琵琶湖大橋を渡った程なくのところにあった。その折り返し付近でアベベ選手とすれ違った時の鳥肌が立つ程の感動は今も忘れられない。
 この大会で忘れられない、もう一つは前日の開会式での河野謙三日本陸連会長の挨拶である。日本選手に対し”走る事を楽しみ、是非、走る事を続けて欲しい。きっと幸せを手に入れる事が出来る”といった主旨であった。”幸せ”という言葉が妙に忘れられない。
 あの感動から一層マラソンの魅力は増してきたし、何時しか、好きなものから楽しむものとして、今も走る事を続けており、大衆マラソンや仲間達とチームを組んで駅伝大会にも参加している。
 さて、還暦の通かも特別の意識は無かったが、さすが70歳の響きに意識させられる。
 だから来るべき70歳のリアルに立ち向かう為に、これまでの自分を見つめ直し自問自答するきっかけや時間が必要だと考えていた。そんな時、高嶋君から”古希記念に二人が中心となり、北海道一周をやらないか”ともちかけられた。(何時やるの。今でしょう!)超ハードな環境に身を置き、頭の中を空っぽにして臨んだら、果たしてどんな関心事
が頭に飛び込んでくるのだろうか。私は、道北、道東の地にはあまり縁がなかったから、この際、東周りコースを志願した。私の実行(■)・計画(□)は次のとおりである。

■第一ステージ;宗谷岬(⇒浜頓別⇒雄武⇒紋別⇒浜サロマ)⇒網走;5日間280キロ
 H25.6.19~6.23<単独走>
■第二ステージ;網走(⇒浜頓別⇒緑⇒摩周温泉⇒磯分内⇒五十石)⇒釧路;2日間
 135キロH25.7.30~7.31<3名による駅~駅のリレー方式>
□第三ステージ;釧路(⇒音別⇒浦幌⇒広尾)⇒襟裳岬;4日間150キロH26.7(予定)
□第四ステージ;襟裳岬(⇒浦河⇒静内⇒鵡川⇒苫小牧;4日間150キロH27.7(予定)
□ファイナルステージ;苫小牧⇒室蘭(栄高校前)45キロ
 ウオーキング組を加えたイベントとして盛り上げたい、と高嶋君と企画・検討中である。

【天が味方してくれた第一・第二ステージ】
■宗谷岬からオホーツクライン(国道238号線)を一直線に南下し網走まで。なにしろこのライン内に100キロウルトラマラソンが2本(浜頓別のオホーツクマラソン、湧別・北見・常呂のサロマ湖マラソンが)設定されているくらいだから、とにかく長い、長い、飽きるほど長い。このラインは海抜3~7メートルが延々と続くので防風林や海岸沿いから山間部に入ってはまた海岸線といった具合で、この山間部が上り下りの坂となる。浜頓別を出てすぐのところにトンネル(1キロ程度)、段違いの歩道になっており安心して走れる。コースでは蓮の葉が歩道を邪魔している箇所がありスピード車両への注意を払うところが多々あった。やはりこの種の挑戦は危険と隣り合わせである。私同様、高嶋君もそれなりの覚悟で挑んでいるはずだ。
 最も気にかけてるのは、自然とのお付き合いだ。経験則から準備は怠らないつもりでも、場合によっては中止する勇気がいる。”もし神様がいるのなら、道中の猛暑を和らげ、雨量を少しの間静かにさせておいて欲しい”そう願っての稚内入りだった。
 スタートして間もなく濃霧、小雨、曇りの繰り返しで雄大と期待していたオホーツクの海が全く見えない。畑また畑の連続。道路標識だけが友達だ。日差しが出てきたのは最終日の常呂付近から網走(駅)ゴール位まで。全行程で気温は10度前後。スピードマラソンだとベストだがジョキング&ウオークだと少々肌寒い。これが幸いし、体力の消耗も少なく、計画通り進める事が出来た。天が味方してくれたのだ。
 平均すると1日約55キロ10時間(昼食などの休憩1時間半程度を含むが)。唯のオッサンのタイムである。多分、高嶋君だとこの半分程の時間で消化出来るだろう。ちなみに今年の世界陸上50キロ競歩の日本選手は3時間40分台である。
■第二ステージは、網走から(根室方面をショートカットの)釧路まで。釧路本線沿いを纏わりつくように国道391号線がはしっている。これを2日間かけ3名で受け持ち駅から駅を走り、その地のゴール地点に集合、というやり方。タイトなスケジュールのやり繰りなのでタスキリレーはない。箱根駅伝TV中継でご覧の、繰り上げスタートのイメージ。
 私と、NTT時代に仕事で知り合った方2名とで実施。一人は某会社のF社長。70歳を超えているが50歳からマラソンを始め海外のフルマラソンや数々のウルトラマラソンをこなしている(1日目;網走⇒浜清水。2日目;摩周飲泉⇒磯分内;トータル27キロ。)もうひと方は某会社のS社長。スキー選手。年、数回の本格的な登山を喜びとしている健脚の持ち主(1日目;浜清水⇒緑。2日目;磯分内⇒五十石;トータル45キロ)。私は1日目緑⇒摩周温泉。2日目;五十石⇒釧路;トータル63キロ。
 この行程も霧の摩周湖というぐらいだから、第一ステージとほぼ同様の天候であった。釧路湿原では濃霧がひどく行き交う車両はライトをつけていた。体温を奪われしまう程の雨でもないし小雨、霧は呼吸が楽になるので、これまた天が味方、ラッキーであった。
 第一ステージは単独走。第二ステージは駅から駅を繋ぐもの。マラソンと駅伝の違い。どちらも自分との闘いには違いないが、マラソンは完走した達成感の自己満足があり、駅伝は受け持ち区間の責任を果たした喜びと、さらにタスキを繋いだ仲間達とで喜びは倍加される。泊先、摩周温泉と釧路での夕食は旬の魚をつまみに話が弾み、疲れも吹っ飛んだ
 これまで、走る事で多くの仲間を得てきている。そして自分にこのような目標が持てて挑戦できることに感謝しなければならない。河野謙三氏の言葉が思い起こされる。
 私の今回の挑戦は、まだ折り返し地点を廻ったばかり。本当頑張りはこれからである。
第一ステージ1 (1)


【ワンポイント写真&エピソード】
<第一ステージ>
①日本最北端の碑宗谷岬に立つ。さあ出発だ!
・海岸沿いを走るもオホーツク海は見えず。 浜猿払~山間部へ。畑また畑<第一に目>
・枝幸、音標通貨も相変わらずの濃霧。
・雄武ゴール5キロまえの脇道でキタキツネと会話、リュックから草餅を投げ与える逃げる。 <第2日目>

②私は、一体今、人生の何キロ地点を走っているのか。
・沢木~興部の坂は厳しかったが昼食(味来館)のラーメンは美味しかった<第三日目>

③紋別~湧別、直線道路を経、芭露付近でいきなり
 サロマ湖出現。湖畔沿いで蚊の大群にあう。<第四日目>

④平和付近から学生時代のマラソンライバル地元
 E君が車で伴走。私のバテ姿に大笑いされる。<第五日目>

<第二ステージ>
①スタート前の3選手。余裕タップリ。
②自動販売機に大喜びした川湯温泉付近。摩周湖付近一望の展望台までは急坂5キロ。自信なく素通り。
③霧が一瞬晴れた釧路湿原、さすが広大。
④無事、釧路に辿り着く。

過酷な挑戦を実行している同窓生に皆でエールを送りましょう。また、来年の第3、第4ステージに向けて釧路から襟裳岬を廻って苫小牧のコースですが伴走者や参加者を希望される方は白鳥会の事務局にご連絡ください。
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