八期生は来年古希
2008 / 09 / 01 ( Mon )
八期生は来年古希
 
私共八期生322名は蛸沼の校舎(室蘭栄町)の最後の卒業生(昭和33年、1958年)として巣立ってから今年で丁度50年になります。来年は古希を迎え、室蘭地区と東京地区で祝う会が催されることになりましょう。
同期会は定期的に室蘭地区でそして東京地区で2年毎で開催されてきましたが最近は何かのイベント時という形に変わっています。ほとんどが一泊旅行でしたが来年の古希を祝う会はどんな会合になるでしょうか今から楽しみにしています。
 昭和30年(1955年)入学の私共は北辰中の半分、成徳中、本輪西中、幌別中出身者で構成されていました。北辰中の方はどう区画されたか定かではありませんが栄高と清水丘高に分けられました。何か可哀そうな思いを覚えています。私たちの時は6クラスで男子3、女子2あと1クラスは混成部隊でこのクラスのみが男女共学でありましたが女子が多くこのクラスに入った男子はどこか別のところに追いやられた感じを持った方が多かったのではないかと思います(筆者も1年の時、混成クラスでしたので・・・)。
 当時日本は戦後の混迷を抜け出し、朝鮮動乱の特需、その後の構造不況からようやく立ち上がろうとしていた時期でありましたし、室蘭では日鋼が昭和29年(1954年)の大争議からようやく生産に入り、昭和30年には富士セメントが操業開始、31年には日本石油室蘭製油所が開所、32年富士鉄にホットストリップミルが完成し高度経済成長への足掛かりの時代でもありました。
このような時代の変化はあったにせよ私共の通学スタイルは男子は高足駄か下駄履き(雨の日と冬は長靴)、女子は布靴(ズック)が主体でした。男子は丸刈り頭(生徒会で長髪を認めさせる議論もあったように思いますが)。外出時は制服に学帽。筆者は高足駄にマントという擬「質実剛健」を謳歌していたように思えてなりません。
丁度3年生の時に開校40周年記念諸行事と盛大な学校祭が行われ各クラス嗜好を凝らした仮装行列が市内に繰り出したことが思い出されます。
 50年前のことを思い出すのは中々大変ですが、昨年の創立90周年記念誌と「白鳥会」第26号(創立90周年記念号)を手にして、本当にそれぞれの多感な青春時代に生きてきたことが蘇ります。多少プライベイトでありますが創立90周年記念号「白鳥会」第26号で筆者に絡んだ記事を発見しました。1つは「室蘭栄高校新聞局小史」であり、もう1つは「郷土の窓―室蘭基幹産業が好調」であります。前者には「室蘭栄高新聞」第32号(昭和31年/1956年)のトップ記事で生徒会長の選挙結果が出されており、そこに小さく筆者の名前が出ております。見事大差で落選、これも青春の1ページであったなとの思いであります。もう1つの方は工藤さん(栄16期)の記事「室蘭の基幹産業が好調」で大学卒業後直ちに就職した(株)日本製鋼所室蘭製作所のことが写真入りで書かれている事です。多少誇張気味な記述とはいえ自分がやって来た事でしたので嬉しくなりました。
 ここに2枚の写真を載せさせて頂きます。1つは15年前の室蘭での第7回同期会(10年前の同期会の写真は「白鳥会」第19号(平成12年発行)に載っていますのでさらに5年古いものにしました)。そしてもう1枚は10年前の東京地区同期会での1泊旅行。さて、来年の古希を祝う会はどんな写真になるでしょうか。


八期生1
八期生2
(2008.08.25 塚田尚史記)
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