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我が青春・高校時代の想い出
2009 / 06 / 01 ( Mon )
「我が青春・高校時代の想い出」
                                                  17期:大津信二

 私たち17期は昭和23~24年生れの真に団塊の世代、何もかにも大勢の塊が今日まで続いています。良しにつけ悪しきにつけ、逃げようのない環境で育ちました。
 丁度、昨年還暦を迎える歳になり、高校時代の記憶も大分薄れて来ましたが当時の頃を思い出して見ました。

< 栄高入学 >
私は、中学校は向陽中、2学年から鷲別中に転校して卒業しました。
高校入試は当時、学区制があり、栄高・東高・登別高と分かれて進学しました。鷲別在住は栄高でした。入学当初一番印象に残っているのは、登校初日の昼休み、当時は皆んな弁当持参でしたが、昼食中に、『メシ、ヤメロー!・起立!』大声で叫び、野球のバットで机を叩きながら、応援団の3年生( 15期の先輩 )が教室に乱入して、校歌・応援歌の指導がありました。そういった経験がほとんど無かったので、本当に縮み上がりました。純真だったのでしょう、本当に恐かった。でも、お陰さまでいち早く校歌も応援歌も覚えることが出来て、今思えば、先輩の優しさだったのでしょう。 

 クラス数は9、1~8組が普通科・9組が家政科(女子のみ、 今は無くなったそうですが)でした。1・2組が男子クラス・3~8が男女共学だったかな?私は3組、担任は数学の佐藤弘先生でした。男子は詰襟の学生服、女子はセーラー服、ちょっと大人に成ったかなと誇らしげな思いがありました。

< 3年間の高校生活 >
 学区は良く覚えていませんが、輪西から東側の色々な中学から来ていましたので、最初はぎこちなかったですが、すぐに打ち溶け合って楽しい高校生活がスタートしました。
 部活は数ある中で、体操部に入りました。当時は大谷高校との合同練習もあり,その中に美しい先輩がいて、憧れました。入部の動機は不純だったかも知れません。スポーツ部は数多く狭い体育館でひしめき合って練習していた思いがあります。体操部では畠山君・毛利君らと一緒でしたが、私は未経験でしたので、彼らの演技に見惚れている毎日でした。
 当時、生徒会活動も活発だった。委員長選挙があり、当選した委員長が他の役員を選んで組閣する方式で、流石、高校だなあと思ったのを覚えています。私も1学年の後半に2年生の小笠原委員長に誘われて、委員の一人になり、確か厚生委員を担当したと思います。
同期で番場君・小林君(次期委員長)・片岡君らと一緒で、女性副委員長の蔦先輩を始め女性陣も活躍されていて、随分と可愛がられました。
 部活は生徒会活動で忙しく成ったこともあり、番場君に誘われて、山岳部に転部しました。そこで、大学も一緒になる七崎君と知り合いました。山岳部は国語の塚田先生が顧問で、ご一緒に大雪山系の縦走をやりました、苦しかった。そのとき塚田先生がタバコを切らして、辛そうにして居られたのが印象的です。今ならそのお気持ちが良―く分ります。

 2年生になる時、クラス替えがあり、私は5組に入り卒業まで2年間、このクラスの仲間と楽しく過ごしました。良く覚えているのは、3年生の時の体育祭。私はスポーツが好きで色々やりましたが、2学年の時バレーボールで優勝したので、3年はバスケで優勝を狙って出場しました。当時、4組にはバスケ部の八百坂君・阿部(トシ)君らがいて、強豪で本命でしたが、その4組を準決勝で破り、番狂わせの決勝進出、しかし決勝で2年生のクラスに敗退、優勝は叶いませんでした。4組の試合で精魂尽き果ててしまったのでしょう。凄く悔しかったし、残念でした。

 こうして書き始めると色々な出来事が浮かんできて、止め処無くなってきます。今回はこの位にして置きます。正確ではないかも知れません、間違いがあったら、ゴメンナサイ。

< 卒業、そして今 >
 17期はS42年卒業、私は地元の大学でしたので、卒業後何回か3年5組のクラス会を開いた記憶がありますが、大学卒業、農機メーカーに就職、四国松山に配属されてからは皆んなとほとんど音信不通なっていました。東京に転勤に成ったことから、東京の同期会に参加するようになりました。高校在学当時余り話した事もなかった方々も居りましたが、今は毎年1月に八百坂君のお店で開く同期会で、ワイワイガヤガヤと楽しくやっています。八百坂君のお陰です。

 又、東京転勤を機に故郷会・東京登別げんきかいの発足にも関わらして頂き、その縁で登別市役所に勤務していた中河原君と再会して、昨年、中河原君が東京出張時に合わせて3年5組の東京支部クラス会をはじめて開催しました、八百坂君のお店で。女性陣4名を含めて、9名が集い、40年ぶりの人も居て、懐かしいやら照れくさいやら、本当に楽しいひと時でした。中河原君のお陰です。

取り留めも無い事を書き進めて来ましたが、今回、東京白鳥会のHPのリレーエッセイに寄稿するに当たり、何人かに投稿をお願いしましたが、軽く断られた為、止む無く私自ら拙い文章を書くことに成りました。同期は60歳に成りましたが、まだまだほとんどが、現役ですので、その気になれないのかも知れません。事務局の小林先輩の「何としても,リレーさせるゾー」との熱意に負けて筆を取りました。次回はきっと時間も心の余裕も出来ていると思いますので、多くの同期に思い出を書いて貰います。

まだ書き足りない事、早逝した東君・本川君そして仲の良かった番場君らとの想い出・恩師の消息など、色々有りますが、これからも東京白鳥会の発展を祈りつつ、筆を置きます。

17期
昨年の10月17日に開催した17期3年5組の東京支部クラス会
八百坂君のお店:「駒八本店」にて





 
01:10:56 | リレーエッセー/時のかけはし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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