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われらベビーブマー
2009 / 06 / 10 ( Wed )
われらベビーブマー

                    16期 星のおじさま

我が16期の多くは昭和22年4月2日から昭和23年4月1日生まれである。
つまり我々は戦後のベビーブームと呼ばれる真っただ中に生まれ,昭和22年・23年とも同い年が230万から250万人ともいわれる程に存在し有史以来の最大の塊であり、つまり団塊(ダンカイ)の世代と呼ばれる所以である。
(これを塊の字が魂の字に似ているところから誤ってダンコンと発する人が時々いる。
あなたは大丈夫ですか?危ない音の響きに気をつけるように。)

思えば生まれてから六十有余年競争の連続であった。
子供の頃は食べるものにも事欠き、今とは違い兄弟も多く、早い者勝ち、気が付いたら小さい自分の分は残っていないというのが現実だった。何をするにも遠慮をしていては駄目でいろんな意味で鍛えられたし、要領も良くなった。
小学校は大和小学校に入学した。ピカピカの1年生ならず、教室が足らず2部授業制の遅い登校でグランドから教室を覗いて仲間が勉強しているのをうらやましく見ていたものだ。大和坂(切割り)で風に飛ばされながら通学したのも懐かしい。間もなく東園小学校が開校され多くの友達と別れたのを覚えている。
中学校は鶴ヶ崎中学校に入った。東園小に分かれた友達が戻ってきた。大沢小からも新しい仲間が来た。 クラスは16組まであり、ひとクラス60名編成だった。やはり教室が足りない。私は15組、技術の工作室が教室だった。音楽室も理科室も教室にあてられた。
とにかく人が多かった。校舎もボロだった。私は姉のあとを追いバスケットボール部に入部したが体育館の床はツギハギでドリブルをすると何処へ行くかわからなかった。天井には梁があり低い、ロングシュートは打てなかった。梁の上を通して入れる特殊な技術を習得した。このことがその後の自分のバスケスタイルに影響したのかもしれない。
ここでも間もなく東中学校が開校され多くの仲間と別れることになる。
そして、昭和38年晴れて栄高に入学またまた別れた友と再会するのである。
またこの年、我々には直接影響はなかったが、従来の栄高の学区から東高校が新設分離した。
このようにまさに離散集合の繰り返しであった。
それが今では隔世の感である。私が巣立ってきたいずれの学校もここ数年前から、統廃合で元の状態に戻っているとのことを知り、感慨深いものがある。(詳しくは白鳥会ホームページをご参照あれ)
                              
 さて高校生活は“自由闊達”の校風そのもので、とても楽しい3年間であった。
私は予定通りのバスケットボール部に入部した。一緒に鶴中から3人東中から2人入り、絶対強いチームになるとの前評判であった。
コーチも日体大でレギュラーだったル-キー先生を迎え、完璧の体制であったが、3年間一筋で頑張った割には戦績はいまひとつ振るわなかった。

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クラスは2年・3年と持ち上がりで、結構まとまりがあった。よく遊んだ文化祭・体育祭・キャンプ・修学旅行等々、一方ほとんど勉強はしなかった。(ただこう思っていたのは自分だけだったのかもしれないが)

卒業の時が来た。クラスの3分の1くらいが進学したろうか、このころ子供の頃から描いていた道が甘くはないことを知った。初めての挫折であった。
それでも夫々が納まるところに納まった。

その後高度成長期に乗って、社会に出てオイルショック・バブルを乗り越え、仕事人間と呼ばれながらも耐え抜いた四十年弱、一昨年めでたく?“カンレキ”を迎えた。
しかしまだ仕事を止めずにいるのは悲しい性であろうか。
 栄高卒業後、クラス会が同期会に変わったのは卒業20周年の時であった。当時青森に転勤で勤務していた私は勇んで参加したのを覚えている。懐かしい友の顔はみな若かった。
 その後5年おきに25・30・35周年と回を重ね、平成18年11月18日の40周年記念は登別温泉で初めての一泊の会となった次第である。みなアジのあるいい顔をしていた。

16期集合

別れ際に次回の5年後は生きて会えないかもしれないとの声が上がり、今後は3年おきにしようと決めたのが丁度3年前、今年がその年に当たるが今から大いに楽しみである。
 室蘭の幹事の皆さん準備の方は大丈夫ですか?
 
 現在はといえば地元地域で休日はゴミ拾い、夜間は街角パトロールなどのボランティア、卓球でお年寄りとのスポーツ交流、一方白鳥会ではワカイ仲間と月2のコーラスと充実過ぎる日々を送っている。
あと数年は仕事も続けるつもりでいるが、今まで自分本位で好き勝手に生きて来た人生を振り返り、今後は利他の人生を歩んで行こうと心に決めているところである。
                                                      
                                
 おまけの一言
皆さんは4月1日が早生まれに入ることをご存じだったろうか。
こういう私も、たまたま同期に昭和23年4月1日生まれの女子が居り中学の時同じクラスになり教えられたことを未だに記憶に残っているからであるが。
どうも入学基準の年齢に達しているかどうかは4月1日の年齢によるという法律があるらしい。
つまりこの人は同期で1番若い女性ということになるが、これが損だったか得だったかは本人のみぞ知るである。今度会うことがあればこの答えを聞いてみたいと思う。
これを読んだらたまには白鳥会か同期会に参加して答えを聞かせてチョ-ダイ!!


東京白鳥会のホームページ知らない人が多すぎる。みんなでもっと広報活動をしよう!!
17:39:20 | リレーエッセー/時のかけはし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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